【高校バスケ】全国優勝71回の名門校は、カリスマ的名将の他界をどう乗り越えたのか 桜花学園、4年ぶりインターハイ制覇の舞台裏 (2ページ目)
【主力ふたりの大ケガで直面した難局】
厳しい状況のなか、白コーチは自分たちにできることに注力した photo by Kato Yoshio
これで桜花学園はさらなる闇へと落ち込んでしまうのではないか――多くのバスケットファンがそう予想するなか、彼女たちは井上・前コーチが逝去されてから初めてのインターハイで、劇的に優勝してみせたのである。
「井上先生が亡くなったときは本当に落ち込んじゃって、これからどうしたらいいんだろう? みたいな思いが個人としても、チームとしてもあって、そのときは気持ちを切り替えるのが本当に難しかったです」
チームの中心選手である2年生の竹内みやは、当時のことをそう振り返る。いったんは気持ちを立て直したものの、葬儀で最期の姿を見たときに再び落ち込んだと言う。名門チームの、将来を嘱望されるような選手であっても、コートを離れれば普通の高校生である。恩師との別れは簡単に受け入れられるものではない。
「それでもチームメイトがいて、コーチやスタッフの方々もいて、皆さんからいろいろ声をかけてもらったので、自分のなかでも気持ちを整理して、井上先生のために戦おうって思えるようになりました」
竹内だけではない。インターハイでキャプテンを務めた濱田ななの(3年)も同じ思いだったと認める。
「不安がなかったわけではないですけど、いつまでも落ち込んでいられないという気持ちもあったので、チーム全員で......キョンさん(白コーチ)や(アシスタントコーチの佐藤)ひかるさんもいるので、全員で声掛け合って乗り越えました」
ここからのインターハイ優勝でも十分にストーリーだが、彼女たちの苦難はなおも続く。
2月に行なわれた東海ブロック新人大会や、3月に行なわれたカップ戦「全関西バスケットボール大会」で、ライバルの岐阜女子(岐阜)に敗れたことではない。それだけであれば、チームとしての力を積み上げ、立て直していくだけである。しかし次に彼女たちを襲ったのは、今年度の主力として期待されていた金澤杏と、キャプテンの棚倉七菜子(ともに3年)が、春先にそろって大ケガを負ってしまったことである。当然、インターハイに間に合わない。
「棚倉、金澤がいないのはめちゃめちゃ苦しいです。正直に言うと、棚倉、金澤はチームの中心格だったので、彼女たちがケガをしたことでチームの作り直しからになりました」
白コーチはそう認めている。
ここに経験豊富な井上・前コーチがいれば、主力ふたりの離脱から短期間でチームを立て直すことは、あるいはもう少しやさしかったかもしれない。しかし白コーチは母校でコーチングを始めてまだ2年。桜花学園を卒業後、筑波大学を経て、Wリーグで8シーズンプレーしたとはいえ、コーチとしてのキャリアは圧倒的に少ない。支える佐藤アシスタントコーチも白コーチと同じタイミングで母校に戻ってきた、Wリーグの元選手である。彼女のコーチングキャリアもまた少ない。
そんな"若い"コーチたちが、カリスマ的名将を失った名門チームを引き継ぎ、しかも突然の負傷で主力がふたりも離脱してしまえば、混乱したとしてもおかしくはない。それでも母校のためにと立ち上がった以上、逃げ出すことはしなかった。
「桜花学園は本当に偉大なチームで、私も佐藤もコーチとしての経験が全然少なくて、井上先生みたいなコーチングはできません。ただ私たちに何ができるかと考えたときに、一生懸命に、情熱で指導することと、選手とバスケットに誠心誠意向き合って、正面からぶつかっていくしかありませんでした」
つづく
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