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NBA伝説の名選手:ヤオ・ミン 外国籍選手のドラフト1位指名の流れを切り拓いた「中国の至宝」 (3ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【NBAに刻んだ功績と永久欠番の意味】

コート外でのスポンサー契約も含め、常に注目を集め続けた photo by Getty Imagesコート外でのスポンサー契約も含め、常に注目を集め続けた photo by Getty Images NBAキャリア9シーズン(うち1シーズンは全休)で、ヤオはレギュラーシーズン通算486試合に出場してキャリア平均19.0得点、9.2リバウンド、1.6アシスト、1.9ブロックにフィールドゴール成功率52.4%、フリースロー成功率83.3%を残し、オールスターに8度、オールNBAチームに5度選ばれた。

 ヤオは中国でプレーしてNBA入りした選手のなかでは最長のキャリアを誇る。日本人では渡邊雄太(現・千葉ジェッツ)と八村塁(レイカーズ)が最長の6シーズンをプレーしているが、ヤオは(オセアニア大陸を除く)アジアで最高の実績を残した選手であり、大人しい風貌ながらダンクや勝負所でショットを決めたあとには雄叫びを上げ、チームの士気を高めてきた。

 圧倒的な高さから振り下ろすダンクはもちろんのこと、リング付近ではフックショットやレイアップ、ローポストやミッドレンジから柔らかいシュートタッチでジャンパーを決め、アシスト面でも器用さを垣間見せるなど観衆を魅了。さらに、時にはビハインド・ザ・バックなどを駆使したスムースなボールハンドリング、ペイントエリアで繰り出した華麗なフットワークでも見せ場を作った。

 世界中の中国人からの熱烈な支持があったとはいえ、NBAオールスターのファン投票で2005、2006年と2年連続でトップに立ち、2005年には255万8578票でマイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズ)の記録を抜いて当時のNBA歴代最多得票数を記録。

 キャリア中盤からケガに泣いたものの、ヤオは2016年にバスケットボール殿堂入りを果たし、翌2017年2月には背番号11がロケッツの永久欠番となった。

「私は時間が経つにつれて、ようやく実感できた。選手にとって、所属したチームで達成できる最もすばらしい栄誉は永久欠番。私が望むのは、皆さんが私のジャージーが掲げられているのを目にすることで、ずっとそのストーリーを覚えていてくれることなんだ」

 そう語ったヤオは、通算9247得点でフランチャイズ史上7位、4494リバウンドで同6位、920ブロックで同2位、フィールドゴール成功3380本で同8位、フリースロー成功2485本で同5位と、堂々たる数字を積み上げてきた。

 また、中国代表としても長年活躍し、FIBA世界選手権(現ワールドカップ)に2度、オリンピックには3度出場。2008年の北京五輪ではホスト役も務め、アジアカップでは4度も金メダルに輝き、2023年にはFIBAの殿堂入りも果たした。

 引退後はFIBAワールドカップ2019でアンバサダーを務め、CBAの代表もこなすなど、ひと際大きなサイズに親しみやすい笑顔とキャラクターで愛されるアジア出身の元バスケットボール選手として、世界的な知名度を誇っている。

 44歳の"歩く万里の長城"は、今後もバスケットボールの国際化を促進する存在であり続けるに違いない。

【Profile】姚明(ヤオ・ミン/Yao Ming)/1980年9月12日生まれ、中国・上海出身。2002年NBAドラフト1巡目1位
●NBA所属歴:ヒューストン・ロケッツ(2002-03〜2010-11)
●オールルーキー・ファーストチーム1回(2003)
●五輪出場歴3回:2000年シドニー大会(10位)、2004年アテネ大会(8位)、2008年北京大会(8位)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

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