NBA伝説の名選手:ヤオ・ミン 外国籍選手のドラフト1位指名の流れを切り拓いた「中国の至宝」 (2ページ目)
【アジア初のドラフト1位が歩んだ道】
ドラフト時にそう意気込み、新人として迎えたデビュー戦。ヤオは10分36秒の出場で3ファウル、無得点、2リバウンドに終わるも、7戦目にして初の2ケタ得点(10得点)を奪うと、シャック不在のレイカーズ戦で20得点、6リバウンド。10戦目のダラス・マーベリックス戦では30得点、16リバウンド、2ブロックを叩き出し、翌11戦目から先発昇格を果たす。
その後はコンスタントに2ケタ得点を奪い、シャックとの初対決となった2003年1月17日には10得点、10リバウンドのダブルダブルに6ブロック。中国からやって来た229㎝・141㎏のビッグマンが、シャックのショットを叩き落とすなど予想外の大健闘を見せた。
するとヤオはオールスターのファン投票でシャックを上回り、ウェスタン・カンファレンスの先発として出場。新人王こそアマレ・スタッダマイヤー(フェニックス・サンズ)が選ばれたものの、全82試合に出場して平均13.5得点、8.2リバウンド、1.7アシスト、1.8ブロックにフィールドゴール成功率49.8%、フリースロー成功率81.1%と上々のルーキーシーズンを送った。
2年目の2003-04シーズン。ヤオは平均17.5得点、9.0リバウンド、1.9ブロックにフィールドゴール成功率も52.2%まで数字を伸ばし、オールスターに加えてオールNBAサードチームにも選出。ロケッツはウェスタン・カンファレンス7位の45勝37敗(勝率54.9%)を残してプレーオフへ出場を果たした。
レイカーズ相手に1回戦敗退に終わると、チームはガードコンビのスティーブ・フランシス、カッティーノ・モーブリーを手放し、リーグ有数の万能戦士トレイシー・マグレディを加え、ヤオとの"魅力的なデュオ"を形成する。
ヤオは2005-06から2007-08までの3シーズン、マグレディも2004-05から2007-08まで4シーズン連続して平均20.0得点以上を稼ぎ出し、ロケッツは2005年から2009年までの5年間で4度プレーオフへ進出した。
だが、ヤオは相次ぐ足のケガ、マグレディもケガに見舞われてしまい、チームとして成功を収めることができず。マグレディは2010年2月に3チーム間のトレードでニューヨーク・ニックスへ。ヤオは2009-10シーズンをケガのため全休し、2010-11シーズンに復帰して5試合コートに立ったものの、2011年7月20日に引退を表明した。
2 / 3