「バルサでプレーしたい」という夢を追い続けた森岡亮太 久御山高時代、神戸加入、日本代表入りで直面した転機
森岡亮太インタビュー(後編)
シャルルロワSCをはじめ、ベルギーで7シーズンプレーした森岡亮太 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
前編◆古巣のヴィッセルに復帰した森岡亮太が引退を決断したわけ>>
幼少の頃からサッカーが好きで、プレーするのが楽しくて、ひたすらボールを追いかけてきた森岡亮太だが、決してエリート街道を歩いてきたサッカー人生ではなかった。
転機が訪れたのは、久御山高校時代。兄の「亮太の好むサッカーに合っていると思う」という勧めもあって進学を決めると、ボールをつなぐサッカーを基本スタイルに、個性を生かしたチームづくりをしていた松本悟監督のもとで頭角を現わしていく。同校が掲げるチームスローガン『キミは君らしく』のとおりに、個性を存分に発揮しながら自分らしく輝くことを求められたなかで、「考えてプレーすればするほど、伸びていくような感覚もあった」そうだ。
そんな森岡が、高校3年間で徹底的に磨いた足元の技術を武器にプロキャリアをスタートしたのは、2010年だ。
「当時のヴィッセルが、これまで自分がやってきたサッカーと違うスタイルのチームだとわかったうえで、将来を見据えて守備力を備える必要性を感じてヴィッセルを選択したんですけど、しばらくは葛藤が続きました。それは、チームスタイルに合う、合わない以前に、自分自身の問題だったというか。
実際、プロのレベルで自分のやりたいプレーをするには、体やプレー強度も含めて、備えなければいけないことが多すぎた。なので、最初の3年はどちらかというと自分と向き合う時間が長く続きました」
キャリアが動くのを感じたのは、プロ4年目を迎えた2013年。クラブとして2度目のJ2での戦いを強いられたこの年も、前半戦は思うように出場機会をつかめなかったが、シーズンも半ばをすぎた8月21日のJ2第30節、東京ヴェルディ戦で状況が一変する。
「チームスタイルと、自分のベースにある"プレーを楽しむ"ことに、どう折り合いをつけて表現できるかをずっと考えてきて、それがヴェルディ戦でようやく合致したというか。僕の特徴を周りに理解してもらえるようになったのも大きかったと思いますけど、シーズンで初めて先発した東京V戦で思い描くプレーができ、以来、僕がチームの戦術として組み込まれるようになって、一気に自分のプレーを表現しやすくなった。実際、それ以降はプレーイメージがパフォーマンスに直結することも多くて、それがJ1に復帰してからも結果につながっていきました」
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