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「バルサでプレーしたい」という夢を追い続けた森岡亮太 久御山高時代、神戸加入、日本代表入りで直面した転機 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 裏を返せば、毎試合完璧にプレーできていたら、きっと面白さ、楽しさも見出せなかったはずやし、こんなにも長くモチベーションも維持できなかったんじゃないかな。実際、戦い続けた先にどんな自分がいるのかわからなかったから、少しでもよくしよう、よくしたい、という過程が自分の未来に意味を持たせてくれる時間になった。

 ただ、そうして過ごしてきた時間は、現役を引退したから終わりではないというか。むしろ、これからのキャリアにも意味を持たせてくれそうな気もしています。というか、海外を含めて、自分の歩んできたキャリアを含めて出会った人たち、たくさんの経験に感謝をすればこそ、現役時代の経験をこれからの人生でも意味のあるものにしていきたいと思っています」

 そのセカンドキャリアについては、いろんな可能性を模索している最中で、自分が何をしたいのか、何ができるのかを考える日々が続いているという。そのなかでは7年にわたって生活の拠点にしたベルギーで、すでに立ち上げている"食"にまつわる事業のさらなる展開も考えているそうだ。もちろん国内でも、自身の経験を生かして「未来ある子どもたちのための食育なども行なっていきたい」と目を輝かせる。

「今はとにかく、やりたいことだらけ。それをどう形にしていけるのか、楽しみです」

 苦楽を共にしてきた"戦友"と親しみを寄せる、愛する家族の存在に心強さを感じながら。

「2015年に結婚してから海外での生活が長かったけど、奥さんはいつもその時々の生活、人生を一緒に楽しんでくれた。彼女にも僕と同じように夢があったのに、海外でプレーすると決めた時もついていくと言ってくれて、最後まで僕の挑戦に寄り添ってくれました。本当にありがという、という気持ちでいっぱいです。

 ベルギーのワースラント=ベフェレンに移籍した2017年6月に生まれた長男は7歳、ベルギーで生まれた長女は4歳になりましたけど、子どもたちを含めて家族の存在はいつも自分の原動力だったし、夢を諦めずに追いかける理由でもありました。

 だからこそ、自分のなかで気持ちを整理して引退を決めた時は......磐田への練習参加をしたあと、所用で東京にいたんですけど、とにかく家族に会いたいと帰宅を急いだのを覚えています。その家族を幸せにするためにも、また新たなキャリアも自分らしく、進んでいきたいです」

 約2時間にわたって、神戸のカフェで思いの丈を聞かせてくれた森岡は、取材を終えたあと、テーブルに置かれてあったメニューにすっと手を伸ばし、スイーツのページを開いて、にっこり微笑む。

「スイーツ、いこうかな。今はもう、何も気にせずにこれができるのが幸せ」

 現役時代は体のことを第一に考えて、自身にさまざまな制限を設けてきたが、実は大の甘党なのだという。その言葉に、森岡の新たなキャリアが始まったことを実感した。

(おわり)

森岡亮太(もりおか・りょうた)
1991年4月12日生まれ。京都府出身。久御山高卒業後、ヴィッセル神戸に入団。1年目の2010シーズン、10月にプロデビューを果たす。チームがJ2に降格した2013シーズンから10番を背負う。以降、チームの司令塔として活躍。J1 に復帰した2014シーズンには初めて日本代表にも招集された。2016年にポーランドのシロンスク・ヴロツワフに完全移籍。その後、ベルギーのワースラント=ベフェレン、アンデルレヒト、シャルルロワSCでプレーし、2024シーズン途中に古巣のヴィッセルに復帰。2025年3月、現役引退を発表した。

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