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「バルサでプレーしたい」という夢を追い続けた森岡亮太 久御山高時代、神戸加入、日本代表入りで直面した転機 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 その言葉どおり、J1に昇格した2014年も、チームを操る司令塔として存在感を発揮した森岡は、リーグ戦全34試合のうち33試合に先発出場(途中出場1試合)。自身にとって初の日本代表にも選出される。そのなかで戦った同年10月14日の日本vsブラジルは、自身に痛烈なインパクトを残した。

「当時はまだJクラブからの選出も多くて、その試合も先発メンバーのほとんどが国内組の選手だったんです。結果、ネイマールに4点ぶちこまれて負けたんですけど、その時、本当の意味でブラジル代表と勝負できていたのは、ほとんどが海外組の選手だったというか。

 僕を含めた国内組の選手の大半は、ブラジルという名前や雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。なんていうか......プレッシャーをかけられているわけでもないのに安パイなプレーを選択しちゃう、みたいな。その自分を感じて『ヨーロッパとかトップレベルの舞台で戦っていないとこのレベルの相手とは勝負できない』と思い知った。

 だからこそ、できるだけ早く"ヨーロッパ"という土俵に自分を乗せなアカンと思うようになりました」

 事実、その試合は海外移籍への思いを加速させることにつながり、森岡は2016年、ポーランド1部リーグのシロンスク・ヴロツワフに完全移籍。さらに2017年6月にはベルギー1部リーグのワースラント=ベフェレンに戦いの場を移し、2024年夏に神戸に復帰するまでベルギーでの戦いを続ける。

 夢に描いた「FCバルセロナでのプレー」から逆算すればこそ、当然、世界五大リーグへのステップアップも目指していたし、実際に、オファーが届いた時期もあったが、結果的に所属チームは変えながらも7シーズンにわたってベルギーに身を置いた。

「初めて海を渡った時とは違い、海外でのキャリアを積み上げるほど、さまざまなデータをもとに、冷静にいろんなことを判断できるようになったというか。だからこそ、夢に近づきたいなら、五大リーグから逆算してチームを模索すべきだということも常に頭にありました。

 ただ、そのためにはまず、自分が評価されるレベルであることが大前提なので。そのことをずっと意識しながらプレーしてきたけど、30代になってからはケガが続いて思うようなプレーもできず、試合への出場機会も減っていき、最後は夢を追える立場に自分はもういないという現実を受け入れた、と。その事実に悔しさがないと言えば嘘になりますけど、結局、それも含めて、自分の実力なので。

『こうなったらよかった』『ああしておけばよかった』ってことは、キャリアを通して......なんなら毎試合を戦い終えるたびに山ほどあったけど、そのおかげで成長しようと努力もできたし、踏ん張れたとも言える。だから、悔いはないと言いきれるんだと思います」

 今になって思えば、そうして夢を叶えようと必死に"今"を戦い続けられたことも、自身にとってはサッカーの楽しさにつながるものだった、とも振り返った。

「その時々で、うまくいかないこと、思うように進まないことがいつも成長のきっかけになったというか。うまくいかへんからどうすればいいのか考えたし、できひんことがあるから、できるようになろうと向き合えた。

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