NBA伝説の名選手:ジョー・デュマース 謙虚な姿勢でハードワークに徹し偉業を成し遂げた「バッドボーイズ」の紳士 (3ページ目)
【後進の育成に励み、引退後は管理者として成功】
3連覇を目指したピストンズは、1991年のカンファレンス決勝でブルズに4連敗を喫したことで、栄光の時代に終止符を打つことになる。「バッドボーイズ」ピストンズを嫌う選手やファンが多いなか、ジョーダンは長年マッチアップしてきたデュマースに対して敬意の念を持っていた。
「ジョー・デュマースは私が今まで対戦したなかで最高のディフェンダーだった。賢いし、速いし、誰よりもうまく私を相手にプレーしていた。ジョーはトラッシュトークをしたことがない。とにかく一生懸命にプレーし、彼のゲームがそのことを物語っていた。だから彼のことをとても尊敬していたんだ」
1992年にチャック・デイリーコーチがチームを去ると、ピストンズは低迷期に突入。しかし、デュマースはトレードを要求することもなく、新たにNBA入りしてきたアラン・ヒューストン、リンジー・ハンター、グラント・ヒル、ジェリー・スタックハウスといった若手の成長を助けるベテランとしてチームを支えた。その間の1994年には、世界選手権(現FIBAワールドカップ)に出場したドリームチーム2のメンバーとして、金メダルを獲得している。
NBAが選手会をロックアウトした影響で公式戦が50試合に短縮された1998−99シーズンを最後に、デュマースは現役を引退。
「すべての瞬間、勝利、敗北、そしてその間の教訓に感謝している。ピストンズという組織の一員であることは、単なるバスケットボールではなく、家族だった」
こう振り返ったデュマースの通算成績は、1万6401点、4612アシスト、オールスター選出6回、オールディフェンシブ・ファーストチーム選出4回。その実績を称え、ピストンズは2000年3月にデュマースの背番号4を永久欠番とした。
2000-01シーズンからはピストンズのチーム運営管理部門のトップになると、トレードでベン・ウォーレス、リチャード・ハミルトン、ラシード・ウォーレスらを獲得し、フリーエージェントでチャウンシー・ビラップスと契約。これらの補強が功を奏し、2004年には下馬評で圧倒的不利と見られていたレイカーズとのNBAファイナルを4勝1敗で制してチャンピオンシップを獲得するなど、フロントオフィスの重役としても結果を出した。
2014年にピストンズの役職を辞任したデュマースは、2019年から3年間サクラメント・キングスのフロントオフィスに在籍。現在はエグゼクティブ・バイスプレジデント兼バスケットボール・オペレーションの責任者として、NBAに関わっている。
【Profile】ジョー・デュマース(Joe Dumars)/1963年5月24日生まれ、アメリカ・ルイジアナ州出身。1985年NBAドラフト1巡目18位指名。
●NBA所属歴:デトロイト・ピストンズ(1985-86〜1998-99)
●NBA王座2回(1989、1990)/NBAファイナルMVP1回(1989)/オールディフェンシブ・ファーストチーム4回(1989、90、92、93)
*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)
著者プロフィール
青木 崇 (あおき・たかし)
1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。
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