NBA伝説の名選手:ジョー・デュマース 謙虚な姿勢でハードワークに徹し偉業を成し遂げた「バッドボーイズ」の紳士 (2ページ目)
【父に捧げたNBA2連覇】
2年目に11.8得点を記録して以降、デュマースの1試合平均得点が伸びるのと並行して、ピストンズもNBAの強豪へと這い上がっていく。デュマースがプロ3年目の1987-88シーズンはボストン・セルティックスをカンファレンス決勝で倒し、翌1989年には2年連続のファイナル進出を果たし、前年3勝4敗と惜敗したロサンゼルス・レイカーズを4連勝のスイープで下し、初のチャンピオンシップを獲得した。
デュマースは第2戦での33得点を最高にNBAファイナルで平均27.3得点を記録。第3戦の土壇場でレイカーズが同点に追いつくチャンスを阻むブロックショットを決めるなど、攻防両面で大活躍したことが決め手となり、NBAファイナルのMVPに輝いたのである。
「チャンピオンシップを獲得することは、我々が争ってきたすべての集大成だ。何年もの間、疑問符をつけられ、批判され、チャレンジに直面してきた。みんなと一緒にトップに到達することは特別なことを超えていた。MVPは、決して私のことではない。それは、我々がチームとしてどれだけうまくプレーしたかを反映したものだ。彼らなしでは成し遂げられなかったし、それがあったから意味がある」
王者として追われる立場になった1989−90シーズンも、公式戦59勝23敗でイースト1位となりプレーオフ進出。マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが実力を上げてきたものの、ホームでの第7戦をモノにして4勝3敗でNBAファイナルに進出する。そしてポートランド・トレイルブレイザーズとの頂上決戦、ピストンズはホームでの第2戦を延長の末1点差で惜敗したが、1勝1敗で迎えた敵地では、心身両面でのタフさを発揮して3連勝。第5戦は残り2分での8点差を追いつき、残り0.7秒にビニー・ジョンソンが決勝点となるショットを決め、2連覇を成し遂げたのである。
ファイナルMVPにはトーマスが選ばれたが、デュマースも平均20.6点、5.6アシストと活躍。33点を記録した第3戦が終わったあと、家族から父の死を知らされたが、その感情も自身のパフォーマンスへと向けていた。ハードワーカーだった父とデュマースの思いを理解した家族は、NBAファイナルが終わるまで葬儀を延期。デュマースは第4戦でも26得点を記録。チームの勝利に貢献したあと、彼はこう語った。
「私は、父のためにプレーしようとしただけだ。私がコートでしたことは、すべて父の思い出のなかにある。父の存在が私のなかにあることを感じていた。それは、もはや単なるバスケットボールのことではなく、父が私に植えつけたものを称えることだった」
ちなみに、第3戦の大事な局面において、ショットクロックがゼロになる寸前に放たれたデュマースのショットは、高いアーチを描いてリングに吸い込まれた。その直後、デュマースの目を見たトーマスは、試合後にこんな話をしていた。
「心のなかで、こう言ったんだ。"ジョー、(そのシュートは)君のお父さんが決めたんだよ"って」
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