パリオリンピック男子バスケ 予選リーグ敗退でも日本に大きな収穫「胸を張って帰ってきて」【原修太の視点】 (2ページ目)
【日本が世界で戦えることを証明してくれた】
ホーキンソン(24)と渡邊(12)はブラジル戦、それぞれ34分以上プレーした photo by FIBAこの記事に関連する写真を見る 結果は東京五輪と同じ3連敗での予選グループ敗退となりましたが、東京五輪の時は相手に食らいつけたのは20分前後、逆にパリ五輪では本当に何度も勝てると思わせてくれる瞬間が随所にある内容でした。そこは大きな違いだと思います。フランス戦は、僕のなかでは「勝ちゲーム」です。
個人的には、パリ五輪の代表メンバー12人、トムさんをはじめとするコーチやスタッフの方々、それに欧州に帯同した川真田(紘也)選手、佐々木(隆成)選手には、今、日本が世界のどのあたりにいるのかをポジティブに捉えさせてくれたことに感謝したいと思います。僕も含めた代表候補に名を連ねていた選手たち、Bリーグでしのぎを削り日本のバスケを盛り上げようとしている仲間たちに、「日本も世界で戦える」ことをオリンピックの3試合で証明してくれた。それは2019年のワールドカップ、2021年の東京オリンピックの時とは違うものだと思います。
これからの次のワールドカップ、オリンピックに向けて、この3試合を見ていた僕も含めたバスケットボール選手たちがあの舞台に立ちたい、日本を強くしたいという気持ちが強くなるものでした。
パリ五輪の日本代表は、日本側からだけでなく、海外からも注目を集めた戦いぶりで、これまでにない、感慨深いものでした。誇らしさもありました。それだけに、1勝、2勝はできる力を備えていたと確信しているので、見ていた僕が悔しかったので、戦ったメンバーたちはもっと悔しかったと思います。でも、胸を張って帰ってきて欲しいです。
最後に日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張ってきた(富樫)勇樹について。
千葉ジェッツでチームメイトとして長年やってきた勇樹は、トムさんが代表HCになってから主将に任命されて以降、円陣を組んでの声出しなど、本人の柄に合わない役割もこなしてきました。最初は違和感があったのですが、昨年のワールドカップで一緒にプレーした時にはまったく違和感がなく、主将としての役割を果たしていました。
今では主将が彼でいなければ、今回の五輪代表チームもひとつにまとまらなかったと思えるくらいです。見えない部分での苦労も多かったと思いますが、プレー面では河村選手含めて、あの身長でも世界で十分に戦えることを実証したと思います。昨年のワールドカップ前には身長170cm前後のガードがふたりもいることについて論争もありましたが、それをプレーで通用することを証明しました。本当にリスペクトしています。
ずっと走り続けてきたので、帰国したら少し休んでほしいと思います。来季からは(渡邊)雄太も合流するので、Bリーグを一緒に盛り上げることはもちろん、日本を強くしたいと思います。
東京五輪後、主将としてチームの成長を促進した富樫勇樹 photo by FIBAこの記事に関連する写真を見る【Profile】原修太(はら・しゅうた)/1993年12月17日生まれ、千葉県出身。市立習志野高→国士舘大→千葉ジェッツ。身長187cm、体重97kg。高校までは全国大会で目立った活躍はなかったが、大学入学後から徐々に才能を開花しシューターとして活躍。大学卒業後に千葉ジェッツに入団すると、プロ2年目の2016-17シーズンから徐々に出場機会を増やし、3年目からはチームの主力に定着。これまでBリーグ優勝1回、天皇杯優勝4回、2022-23シーズンはリーグのベストディフェンダー賞、ベスト5に選出される。2023年夏のワールドカップでは日本代表としてパリ五輪出場権獲得に貢献し、パリ五輪日本代表候補に名を連ねた。
著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。
フォトギャラリー まるぴさん『熱血バスケ』応援隊
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