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パリオリンピック男子バスケ 予選リーグ敗退でも日本に大きな収穫「胸を張って帰ってきて」【原修太の視点】

  • 牧野 豊●取材・文 text by Makino Yutaka

ブラジル戦で21得点をマークした河村勇輝 photo by FIBAブラジル戦で21得点をマークした河村勇輝 photo by FIBAこの記事に関連する写真を見る

原修太の視点:パリ五輪男子バスケ日本代表03

 パリオリンピック男子バスケットボール・予選リーグの3戦目は8月2日に行なわれ、Bグループの日本は同じ0勝2敗のブラジルと対戦。大黒柱の八村塁がケガで欠場するなか、粘り強く奮闘を見せるも84―102で敗退した。これで予選グループ0勝3敗となり、目標に掲げていた準々決勝進出はならなかった。

 昨年のワールドカップ日本代表の原修太選手(千葉ジェッツ)は、どのような視点でパリ五輪の戦いぶりを見ていたのか。ブラジル戦、そして今大会3試合を通じて見えたものについて語ってもらった。

原修太の視点01:パリ五輪・日本対ドイツ考察〉〉〉
原修太の視点02:パリ五輪・日本対フランス考察〉〉〉

【全力を出しきった日本、強かったブラジル】

 日本は、チームの得点源である八村(塁)選手(今大会1試合平均22.0得点、6.5リバウンド)がケガで欠場するなか、前半はうまく流れを作れない時間帯が長く続きました。特に前半であれだけ3ポイントを決められたら(13本中11本成功)、もっと離されてもいい展開だったと思います。もう少し点差が開いたら、後半途中にゲームが決まってしまうのでは......という考えが脳裏をよぎる瞬間もありましたが、今大会、ずっとチームに献身してきたジョシュ(ホーキンソン)選手、河村(勇樹)選手、(渡邊)雄太を中心にコートに出ている全選手が踏ん張り、逆に勝機を見出す状況をつないでくれました。

 そんななか、吉井(裕鷹)選手は前の2試合同様、まさにトム・ホーバスHCのバスケットボールに一番必要な役割を果たした選手として、貢献しました。練習では3番(スモールフォワード)をやっているのに、試合では状況に応じて2番(シューティングガード)、4番(パワーフォワード)を任せられる。選手として非常に難しい役回りですが、どのポジションでも自分の持ち味であるリバウンド、ディフェンスに力を注ぎ、そのうえで、ブラジル戦でも試投は少なくても、流れをつなぐ3ポイントを決めていました。数字的には目立たなくても吉井選手の存在は今大会の日本にとって大きなものだったと思います。

 また、ブラジル戦では馬場(雄大)選手もついに自分のよさを出せたと思います。これまでコンディションや役割についていろいろ思う部分もあったのかもしれませんが、馬場選手らしいプレーを最後に見せてくれました。

 第3クォーターで4点差(73―77)まで詰めて迎えた第4クォーターは、ほぼ先発メンバーを休ませずにいけるところまでいきました。ブラジルがゲームを通してローテーションするなかで、トムさん、アシスタントコーチの方々もクォーターの序盤にメンバーチェンジをして、主力を後半に備える選択肢も検討したと思います。ただ、一方で替えることで流れを切ってしまう、そもそも誰を替えるのかなどの不安は、オリンピックの戦いだからこそ、あったと思います。

 最終的には、ドイツ戦、フランス戦の出来も含めて信頼できる5人に任せる、という判断になったのではないでしょうか。

 対戦相手のブラジルは、強かったです。予選リーグ3試合のなかで一番いい出来だったのではないでしょうか。シュートが前半、よく入っていたのは(3ポイント11本成功、フィールドゴール成功率64%)、日本のディフェンスが悪かったわけではありません。ディフェンスでスイッチする(マークする対象者を替えること)際のちょっとしたズレを突かれた部分もありましたが、それにしてもよく決めきったということです。

 ブラジルは全体的に荒々しく攻める選手が多い印象でしたが、そのなかで41歳のポイントガード、マルセリーニョ・フエルタスの要所での存在感が光りました。出場は20分前後ですが、第1クォーターの前半、第4クォーターの残り4分を切ったあたりでそれぞれミドルレンジの2ポイント、プルアップの3ポイントを連続で決めたシーンは、日本がいい形で追い上げる流れを断ち切る効果があったので、なおさら印象に残っています。

 センターのブルーノ・カボクロが得点源として内、外と得点を重ね、彼の存在を相手に意識させることでチームとして3ポイントを多く成功した部分も大きかったですが、各国で世代交代が進むなか、ベテランの存在もブラジルの強さを象徴していたと思います。

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著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

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