【NBA】スペイン人のマーク・ガソルが米南部メンフィスで愛される理由 (2ページ目)

  • 宮地陽子●文 text by Miyaji Yoko
  • photo by AFLO

 やってきたのは、パウだけではない。20歳で異国に移る兄をサポートするために、ガソル家は一家5人(両親、長男パウ、次男マーク、三男エイドリアン)そろって故郷バルセロナを離れ、メンフィス郊外に移り住んだ。彼らにとってそれまで、「エルビス・プレスリーの出身地」として聞いたことがあるだけだったメンフィスが、このときから自分たちの町になったのだ。

 マークはかつて、メンフィスに移り住んだときの心境を次のように語っている。

「家族と一緒にメンフィスに来たのは、親に言われたからではなく、僕が自分で決めたことだった。それでも、スペインからの飛行機に乗っている間は、どこに住むことになるのか、どんな人たちに出会うのか、いろいろと心配だった」

 当時のマークはまだ16歳の高校生だったのだから、無理もない。もっとも心配するまでもなく、人懐っこいマークは、明るい南部気質のメンフィスにすぐ溶け込んだ。私立のローザン・カレッジエート・スクールに転入し、バスケットボールチームに入ると、たちまちチームメイトたちから「ビッグ・ブリトー」のあだ名で親しまれるほどの人気者になったという。

 当時から身長208センチと大きく、抜群のシュート力があったため、渡米2年目の高校シニア(日本の高校3年生)のシーズンには、平均26.2点、13.1リバウンド、5.9ブロックの記録を残している。その一方で、当時はまだ小太りで動きも鈍く、兄ほどの注目選手ではなかった。高校時代に対戦したことのある選手は、「まさかNBAのスターティングセンターになるとは、思ってもいなかった」と振り返るほどだ。

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