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【F1】中嶋悟は34歳で夢を叶えた 雨の激走で「日本人ドライバーも捨てたもんじゃない」とリスペクトされる存在に

  • 米家峰起●取材・文 text by Mineoki Yoneya

日本人F1ドライバー「夢の系譜」
【第1回】中嶋悟

 F1──そこは、かつて日本人ドライバーにとって、あまりにも遠く、まばゆい憧れの場所だった。

 異国のサーキットにひとり立ち向かった先駆者から、その背中を追い続けた後継者たちへ。日本人が一歩ずつ、執念で紡いできた軌跡は、今や揺るぎない歴史となった。

 これは、最速に魂を焦がした男たちがつなぐ「夢の系譜」である。あの日、私たちが夢中で追いかけたサムライたちの記憶を振り返る。

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中嶋悟/1953年2月23日生まれ、愛知県岡崎市出身 photo by BOOZY中嶋悟/1953年2月23日生まれ、愛知県岡崎市出身 photo by BOOZYこの記事に関連する写真を見る 歴史というのは、人が作るものだ。誰かが初めて道を切り拓いた時、歴史は作られる。

 そういう意味で、日本人F1ドライバーの歴史を築いたのは、中嶋悟にほかならない。

 1987年、ロータス・ホンダでF1デビューを果たした中嶋は34歳。当時としても遅咲きのF1昇格だった。

 中嶋にとっては、10年かけてようやく辿り着いた夢だった。

 1977年にFJ1300でチャンピオン、全日本F2000選手権で3位となった中嶋は、翌1978年にイギリスF3選手権にスポット参戦。この頃から「ヨーロッパで戦いたい」という強い思いを抱き、1982年には生沢徹の下でヨーロッパF2選手権参戦を果たすが、チームの資金不足でわずか5戦での撤退を余儀なくされてしまった。

 その夢を捨てきれない中嶋は、当時ジャイアンツの江川卓以上と言われた破格の契約金を提示したハラダ・レーシングと契約を結び、その契約金を元手に中嶋企画を設立し、ヨーロッパ再挑戦を模索。1984年からは全日本F2で3連覇を果たし、ドライバーとしても絶頂期にあった。

 並行してF1に参戦するホンダのテストドライバーを務め、ウイリアムズの1984年型マシンにテストエンジンを積んで開発を担ってきた。それだけフィードバック能力と開発能力が高いという証であり、中嶋としてもF1マシンの経験を積むことができた。

 そして1986年には、国際F3000へと挑戦。生活拠点をロンドンに移し、F1へのステップアップを視野に入れた。ホンダからのサポートもあったとはいえ、中嶋自身も全日本F2で得た自己資金を投じての挑戦であり、ホンダもまだこのシーズンを迎える頃には勝ち始めたばかりでしかなく、その後の黄金期が想像できていたわけではなかった。

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著者プロフィール

  • 米家峰起

    米家峰起 (よねや・みねおき)

    F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。

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