F1ウィリアムズ育成に13歳・松井沙麗が大抜擢 「ノリと勢いで何とか残れて」幼少期から厳しい父と二人三脚
女子大生の野田樹潤(Juju)選手が国内最高峰のスーパーフォーミュラに参戦して大きな注目を集めているが、彼女に続く逸材として期待されているのが、松井沙麗(さら)選手だ。
現在13歳の松井選手は、イギリスの名門F1チーム・ウィリアムズのドライバーアカデミーに所属することが決まり、今年からヨーロッパで本格的なレース活動を開始している。
今回、松井選手と彼女の活動を支えてきた父の広史さんにインタビュー。レースを始めた幼少期から現在へ至るキャリアを振り返ってもらった。
ウィリアムズの育成ドライバーとしてヨーロッパでのレースに挑んでいる松井沙麗この記事に関連する写真を見る
【マシンが速ければ速いほど楽しい】
ーー沙麗さんはカートレースをしていたお父さんの影響でレースを始めたそうですが、プロのドライバーになりたいと思ったのはいつぐらいですか?
松井沙麗(以下、沙麗) カートレースを始めてからすぐです。5歳で初めてカートに乗って、翌年にはレースに出ていますので、6歳ぐらいにはプロになろうと思っていました。ちょうどテレビで中継していたインディ(アナポリス)500のレースを見てカッコいいなって。
父・広史(以下、広史) 正直、本気にはしていませんでした。最初は「ああ、そうなんだ。頑張ってね」という感じでした(笑)。でも、カートを続けているうちにだんだん本気になってきましたね。
ーー沙麗さんにとってどんなところがレースの魅力だったのですか?
沙麗 一番はスピードですね。ほかの選手とバトルするのも好きですが、マシンが速ければ速いほど乗っていて楽しいです。小さい頃は、とにかくもっと速いクルマに乗りたいとずっと思っていました。(カテゴリーを)ステップアップしてだんだん速いマシンに乗れるようになってきたので、すごくうれしいです。
怖いと思ったことはありません。カートは男女混合というか、男性と女性が一緒に戦えるところがほかのスポーツにない魅力だと思います。
4月、富士山麓のサーキットで練習していた松井この記事に関連する写真を見る
1 / 4
著者プロフィール
川原田 剛 (かわらだ・つよし)
1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。