角田裕毅、予選7位→決勝10位でも冷静 淡々と仕事をこなしてポイントを持ち帰る姿はベテランの風格 (4ページ目)
【地元イモラの大観衆のもとに足を運んで...】
11周目にリカルドをピットインさせ、ヒュルケンベルグのピットインを誘った。早めに入れば、残り50周以上をハードで走りきるのは、かなり苦しくなる。角田としては、もう少しミディアムで引っ張ってから第2スティントでヒュルケンベルグの前に出たかったが、ヒュルケンベルグが動かなかったために12周目でピットインし、アンダーカットでヒュルケンベルグの前に出た。
そこからハードタイヤをいたわり抜き、ハース勢を寄せつけなかった。第1スティントを引っ張って25周フレッシュなタイヤで追い上げてきたストロールを抑えることはできず9位を奪われたが、チームからは争わずタイヤをセーブしてヒュルケンベルグを抑えることを最優先に考えようという指示が角田に飛んだ。
「たら・ればを言えば、ストロールを抑えることはできたのかもしれない。だが、今日のカギはハースに対してポイント差を縮められないようにすることだったんだ」(エドルス)
角田もその指示に賛同する。
「もちろん僕としては『抑えたいな』という思いはありましたけど、今日のアストンマーティンは速さがありましたし、あの状況では正直、難しかったと思います。ただ単にハードタイヤを早く履いたので、そこからタイヤマネージメントしなければならなかったという、それだけのことですね。
今日はハードで50周以上走るのは、ちょっとギリギリだったと思います。そのなかではタイヤマネージメントはうまくやれたと思いますし、自分としては満足しています」
レースの全体像を見て、攻めと守りを的確に切り替える。だから、タイヤを保たせることができる。まさにベテランのような風格で、淡々とやるべき仕事をこなし、ポイントを持ち帰る。
レースを終えた角田は、メインストレートになだれ込んだ地元イモラの大観衆のもとに足を運び、感謝の言葉を伝えることも忘れなかった。
ホームレースの鈴鹿、第二のホームのイモラ。いや、いまやF1全体がホームであるかのように、ひとりのF1ドライバーとしてしっかりとこの世界に根づき、存在感を示している。イモラの観衆に手を振る角田の背中が、はっきりとそう物語っていた。
著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。
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