天皇賞・春でナリタブライアンと伝説の名勝負 「ウマ娘」で描かれるサクラローレルはどれほどの名馬だったのか
メディアミックスプロジェクトの「ウマ娘 プリティーダービー」。4月10日から新作漫画「ウマ娘 プリティーダービー スターブロッサム」の連載が集英社の「となりのヤングジャンプ」「ヤンジャン!」「少年ジャンプ+」の3媒体で当時に連載が開始されるなど、新しい展開も生まれている。
1996年天皇賞・春、最後の直線でナリタブライアンとマヤノトップガンを抜き去ったサクラローレルこの記事に関連する写真を見る この漫画では、ウマ娘のサクラローレルが見習いトレーナー・明石椿と「大きな夢」を目指すとされている。
では、モデルとなった競走馬・サクラローレルはどんな馬だったのか。なお、ウマ娘のサクラローレルは同期のナリタブライアンをライバル視しているが、それは実際の競走馬も同年生まれだったため。そして、サクラローレルがこのライバルを破った舞台が1996年の天皇賞・春だった。ということで、その一戦を中心に振り返ってみたい。
1年1カ月もの間、サクラローレルは骨折による休養を強いられていた。早くから期待されていた大器は、デビュー翌年の5歳(旧表記、現4歳)1月にGIII金杯で圧勝。続く2月のGII目黒記念は2着に敗れたものの、ようやく本格化かと思われた。その矢先の骨折であり、競走能力を失うかというほど深刻なものだった。
サクラローレルはフランスにゆかりのある血統の持ち主だ。世界最高峰のレースと称されるフランスの凱旋門賞を獲りたいと考えたオーナーが、その勝ち馬である父レインボウクエストと、フランス産の母ローラローラを配合した。世界を夢見て誕生した1頭だったのである。
そんな期待の若駒は4歳1月にデビューしたが、なかなか波に乗れず。同年生まれのナリタブライアンが「クラシック三冠」を総なめにするなか、頭角を現わせずにいた。
ようやく力を発揮したのが4歳終わりから5歳春にかけて。先述の金杯勝利はまさにこの馬のポテンシャルを見せつけたレースだった。
そんな時の骨折。ここから1年1カ月もの間、所属厩舎で治療やリハビリを行なうことになる。世話をしたのは、当時まだ若手の厩務員である小島良太だった。
苦難の日々を経て復帰したのは6歳3月のGII中山記念。骨折による長期休養明け、しかもGⅠ馬が出走するメンバー構成となれば、9番人気の低評価も妥当だったと言える。しかし、サクラローレルは後方から直線で外に持ち出すと、豪快にライバルたちを差しきったのである。
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