【恩田社長の600日】「岐阜」と「ぎふ」。そこにあるクラブ運営の難しさ

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

FC岐阜・恩田社長の600日 ~Jリーグ地域クラブへの伝言~
 第2回 岐阜県(ぎふ)と離れては生きられない、それがFC岐阜

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FC岐阜元社長・恩田聖敬(さとし)氏。後ろに見えるのぼりは「ぎふ」となっているFC岐阜元社長・恩田聖敬(さとし)氏。後ろに見えるのぼりは「ぎふ」となっている 本題に入る前に、FC岐阜の舞台となる岐阜県に対する、私の思いを書いておこうと思います。

 私は高校卒業以来岐阜県を離れ、FC岐阜に携わることが決まり、約17年ぶりに岐阜県に戻りました。その間に住んだ場所は、学生時代の京都から始まり、就職後は東大阪、鈴鹿、太宰府、東京、大阪、そして千葉と全国を転々としました。悲しいかなどの場所でも、私が岐阜県出身であることを告げた時に、ポジティブな反応は残念ながら返ってきたことがありません。「岐阜ってどこにあるの?」「岐阜って漢字、書けない」「岐阜には何があるの?」といった感じです。その度に悔しさと肩身の狭い思いをしてきました。地方出身の方は程度が違えど、同じような経験をされているのではないでしょうか?

 そんな風に言われても私は生まれ故郷が好きでした。私にとって、いろいろな思い出の詰まった大切な場所です。岐阜県には母なる海はありませんが、帰るべきところです。余談ですが、私の生まれた町である「高富町」は、いわゆる平成の大合併で「山県(やまがた)市」となりました。実家の住所から高富町が無くなったことは、想像以上にショックでした。理由を言葉にするのは難しいですが、何かしらアイデンティティが傷つけられたのです。

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