【育将・今西和男】風間八宏「骨身を惜しまず、信頼関係を築いてきた人」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

『育将・今西和男』 連載第13回
門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(2)

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今西との出会いからをふり返ってくれた川崎フロンターレ、風間八宏監督今西との出会いからをふり返ってくれた川崎フロンターレ、風間八宏監督 1989年、昇格を逃し、2シーズン続けて2部リーグでの戦いを余儀なくされたマツダの実質的な総監督今西は、半ば風間八宏(ブラウンシュヴァイク)の獲得をあきらめていた。「ヨーロッパでプロとしてバリバリプレーしている人間をうちのような日本リーグの2部でやらしちゃいけんじゃろ」という現役選手に対する配慮もそこにはあった。

 当然ながら風間のもとには、1部に所属する強豪チームや海外のチームからのオファーが殺到していた。高校は静岡の清水で、大学が筑波の男にとっては、帰国したとしても縁遠い広島に行くこと自体、リアリティがないと思われた。しかし、10代の頃から日の丸を背負ってきた屈指のMFが選んだのはマツダであった。

「今西さんのところだけが本気だというのが分かったんです。ドイツでやっている5年間、ずっと見に来てくれていた。もちろん、最初は自分にとって面白くも何ともない話ばかりでしたよ。サラリーもやりがいも観客数も全然、ドイツの方があった。でも、マツダのチームビジョンというのがしっかりと伝わってきたわけです。『リーダーとしてお前が欲しい』『真っ白のチームだから、本当のプロのマインドをチームで示して欲しい』と、自分の役回りも明確に言ってくれた。そして、契約書から何から提示の額まで、しっかりと持ってきてくれたのが今西さんだけだったんです」

 単なる口頭による勧誘ではない、最もプロフェッショナルなオファーを示したのが2部リーグ、マツダの総監督である今西だった。順位、環境、年俸以上にプロとして向き合おうとした、その姿勢が風間を突き動かした。この風間の帰還は注目を浴び、当時サッカーの記事など、ほとんど掲載されなかった朝日ジャーナルが2週にわたって、武田薫氏による特集記事『渇えし者たちの夢 (風間八宏)』を載せている。

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