【育将・今西和男】風間八宏「骨身を惜しまず、信頼関係を築いてきた人」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

 縦社会である日本のスポーツシーンでは考えられないような行動であったが、先輩たちもそのふるまいをチームのためとして認めてくれていた。そして、それは有効に機能していった。

 韓国遠征では今西が期待していた通りの動きがあった。ソウルのクラブチームとの練習試合の中で、何でもないシュートをGKの前川和也がトンネルしてしまった。こんなとき選手たちは「ドンマイ」と声をかけて切り替えを促すのが主であった。しかし、風間は「てめえ、そんなボールも取れねえのか」と怒鳴りつけると、さらにベンチに向かって「他にキーパーはいねえのか」と叫んだ。

「これだ」と今西は膝を叩いた。「肝っ玉小僧がやってくれた」。ミスはミスとしてはっきりさせて傷を舐め合わない。前川にとっても、この糾弾は効いた。「俺はあのときの言葉は一生忘れない。あれから絶対 にヤヒさん(風間)には練習でも1本も入れられないようにしようとした。それで俺は上手くなった」 と周囲に語っている。

 2年目からは満を持すかたちでキャプテンに就くと、ますますコーチングは激しくなった。

「でも、どれだけひどいことを言っても先輩も後輩もついてきてくれた。やっぱり本気で勝ちたいチームに俺は来たんだなと思えた。実際にどんどん皆、強くなっていったんですよ」

 そのリーダーシップは誰もが認めた。香港のキャンプでサウナに入っていると、監督のビル・フォルケスが入ってきた。“ミュンヘンの悲劇(※)”を乗り越えたマンチェスター・ユナイテッドの元キャプテンに選手たちは気を遣って、三々五々抜けていくが、少し遅れて入ったこともあって風間はずっと残っていた。するとビルが話しかけてきた。
※1958年2月6日、当時のミュンヘン空港で起きた航空事故。マンチェスター・ユナイテッドの選手8人が死亡した

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