2015.11.07

【育将・今西和男】風間八宏「骨身を惜しまず、信頼関係を築いてきた人」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

『育将・今西和男』 連載第13回
門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(2)

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今西との出会いからをふり返ってくれた川崎フロンターレ、風間八宏監督 1989年、昇格を逃し、2シーズン続けて2部リーグでの戦いを余儀なくされたマツダの実質的な総監督今西は、半ば風間八宏(ブラウンシュヴァイク)の獲得をあきらめていた。「ヨーロッパでプロとしてバリバリプレーしている人間をうちのような日本リーグの2部でやらしちゃいけんじゃろ」という現役選手に対する配慮もそこにはあった。

 当然ながら風間のもとには、1部に所属する強豪チームや海外のチームからのオファーが殺到していた。高校は静岡の清水で、大学が筑波の男にとっては、帰国したとしても縁遠い広島に行くこと自体、リアリティがないと思われた。しかし、10代の頃から日の丸を背負ってきた屈指のMFが選んだのはマツダであった。

「今西さんのところだけが本気だというのが分かったんです。ドイツでやっている5年間、ずっと見に来てくれていた。もちろん、最初は自分にとって面白くも何ともない話ばかりでしたよ。サラリーもやりがいも観客数も全然、ドイツの方があった。でも、マツダのチームビジョンというのがしっかりと伝わってきたわけです。『リーダーとしてお前が欲しい』『真っ白のチームだから、本当のプロのマインドをチームで示して欲しい』と、自分の役回りも明確に言ってくれた。そして、契約書から何から提示の額まで、しっかりと持ってきてくれたのが今西さんだけだったんです」

 単なる口頭による勧誘ではない、最もプロフェッショナルなオファーを示したのが2部リーグ、マツダの総監督である今西だった。順位、環境、年俸以上にプロとして向き合おうとした、その姿勢が風間を突き動かした。この風間の帰還は注目を浴び、当時サッカーの記事など、ほとんど掲載されなかった朝日ジャーナルが2週にわたって、武田薫氏による特集記事『渇えし者たちの夢 (風間八宏)』を載せている。