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有村智恵は「泣く泣くゴルフを始めた」「ある日突然おめかしさせられて、坂田塾の面接に連れて行かれた」 (2ページ目)

  • text by Sportiva

【プロ以外の選択肢がなかった高校時代】

――高校は東北高校に進学されました。

 ふたつ上の代に宮里藍さん(ツアー通算14勝/USLPGA7勝ほか海外ツアー通算9勝)がいらっしゃって、同じ代に原江里菜選手(ツアー通算2勝)が、ひとつ下に菊地絵理香選手(ツアー通算6勝)がいました。私と江里菜と絵理香は、寮の部屋が3人同じでした。

 その次の代に木戸愛選手(ツアー通算1勝)がいて、その下の代が大江香織選手(ツアー通算3勝)かな。さらに下の代までいくと、誰が東北高校かもわからないくらいいっぱいいますね。

――当時からゴルフ名門校だったんですね。

 いえ、宮里藍さんが入学するまでは、東北高校はゴルフ部というより、ゴルフ同好会ぐらいのスタンスでやっていたみたいなんです。宮里さんが入ったことで、強豪校に変わったと思います。

――どんな高校生活でしたか?

 ゴルフばっかりでしたね。スポーツコースに所属していたのですが、(学校の)イベント事とかでも「どうぞ、部活を優先してください」みたいな感じだったんですよ。

 文化祭もちょうど国体の時期だったし、学生生活をエンジョイしたっていう記憶があまりないんです。クラスのみんなと一緒に何かをやることもほとんどなくて、そこが唯一の心残りというか、青春できてなかったな、と思います。

――ゴルファーとしては当時どんなプレーヤーでした?

 中学生の頃からいい成績を残させていただいたので、「自分が一番」っていう気持ちが強すぎて......。今でこそ仲のいい同級生プロゴルファーですけど、江里菜とはゴルフだけでなく、学校の成績も同じくらいで。すごくライバル視していたからこそ、しょっちゅう喧嘩もしていました。

 江里菜をはじめ、その当時切磋琢磨していたトップの選手たちがいたからこそ、負けないように、と練習していた記憶があります。

(後編:有村智恵が語る盟友・原江里菜との運命の電話と現在の私生活「家事はほとんど旦那さんがやってくれる」につづく)

【Profile】有村智恵(ありむら・ちえ)
1987年11月22日生まれ。プロゴルファー。熊本県出身。
10歳からゴルフを始め、九州学院中2年時に日本ジュニア12~14歳の部優勝。3年時に全国中学校選手権を制した。宮城・東北高で東北女子アマ選手権や東北ジュニア選手権、全国高校選手権団体戦などで優勝。2006年のプロテストでトップ合格。2007年は賞金ランク13位で初シードを獲得した。2008年6月のプロミスレディスでツアー初優勝。2013年からは米女子ツアーに主戦場を移した。16年4月の熊本地震を機に日本ツアーへ復帰。2018年7月のサマンサタバサレディースで6年ぶりの優勝を果たすなど、JLPGAツアー通算14勝(公式戦1勝)をあげる。
2022年に30歳以上の女子プロのためのツアー外競技「LADY GO CUP」も発足させた。
2022年11月に、妊活に専念するためツアー出場の一時休養を表明。2024年4月に双子の男の子を出産した。

◆インタビュー動画はこちらから
https://youtu.be/ia4cne3QnLU

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