久保建英とは決別 鈴木彩艶の指揮官ウナイ・エメリが実践する「数学的思考のマネジメント」とは (3ページ目)
【アウェーで絶大な強さ】
2004-05シーズン、エメリは瓦解寸前だった3部のロルカで2部昇格を勝ち取る成功を遂げている。戦力を考えれば、健闘という言葉では足りないほどで、地元では大変な騒ぎだった。
翌シーズンは1部昇格を最後まで争い、5位でシーズンを終えたことで一目置かれる。06-07シーズンはその手腕を買われて2部アルメリアの指揮を執り、2部最優秀監督賞を受賞し、今度は1年でチームを1部に昇格させた。そこからのキャリアは、冒頭に記したとおりだ。
エメリは敵を研究し尽くし、弱点を見つけてそこをえぐる策に長けていた。とくにアウェーで絶大な強さを誇った。「攻め手には必ず隙が生まれる」と策を練った。たとえば中央の守りを固めて敵ボールをサイドバックまで追い込み、一気に獲物に襲いかかるようなプレッシャーをかけ、ボールを強奪してカウンターで殺到する電撃戦を得意とした。
交代策も得意芸だった。数学者のようにピッチでの正解を導き出す。意外性など信じない、数学的思考のマネジメントだ。
しかしひとつの逸話が、エメリが単純に数式でサッカーを捉えていたわけではないことも示唆している。
「エメリは左利きのアタッカーで、センスを感じさせる選手だったね」
レアル・ソシエダのセカンドチーム監督時代にエメリを指導したミケル・エチャリは、そう証言している。
「戦術勉強には当時から熱心だったよ。シーズン中に、"崩しきって最後はエメリのラストパスで勝負を決める"という攻撃の練習を、何度も何度も重ねて完成させたことがあった。そして実際、その場面が試合で訪れたことがあって。ところが、エメリはパスを出さずに自分でシュートを打った。それで外してね。私は選手の判断に関しては尊重するが、さすがにたしなめた。あの時は珍しく口論になったのを覚えているよ」
よくも悪くもエメリは「自分」が強いのだろう。自らが作り上げたものが"傑作"につながると信じている。だからこそ、練習で積み重ねたものを崩しても、自らの感覚に従ったのだ。
そんなエメリのマネジメントが、アストン・ヴィラで日本人GK鈴木彩艶とどう融合するか。見ものと言っていいだろう。
ウナイ・エメリ
1971年、スペイン・オンダリビア生まれ。1995年、レアル・ソシエダでプロデビューするも、公式戦6試合の出場にとどまり、その後は主に2部、3部でプレーすした。2004年、3部ロルカの監督就任を皮切りに、アルメリア、バレンシア、スパルタク・モスクワ、セビージャ、パリ・サンジェルマン、アーセナル、ビジャレアルなどを率いる。2022年、アストン・ヴィラの監督に就任。
著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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