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久保建英とは決別 鈴木彩艶の指揮官ウナイ・エメリが実践する「数学的思考のマネジメント」とは (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Yoshiyuki Komiya

【ユース時代から「サッカー博士」】

 エメリは選手に対し、細かくオートマティックに動くことを求める。成功につながる相応の研究の裏づけがあるのだろう。その点で彼は強権的で、選手を戦術で縛るし、枠にはめ込もうとする。

 たとえばそのハイプレスは緻密で相手を逃さない。一方、プレッシングを外すための戦いも準備万端。トランジションもトレーニングを重ね、カウンターを発動できるし、敵のカウンターを防げるようにする。サッカーを攻守一体で捉え、相手を論理的に凌駕しようとするわけだ。選手への要求がいちいち細かくなるのは当然だろう。

 セットプレーのバリエーションの多さも特徴で、本人が「スペースのない現代フットボールで、セットプレーは確実にものにすべき好機」と語るように、FK、CKはいくつもデザインされる。

「もう少し自由にやりたい」――創造性に優れた選手ほど辟易してしまう。メディアやファンの間でも「創造性に乏しく、退屈」と批判されることがあるのだ。

 エメリの祖父は、スペイン国王杯を2度制したことがあるバスク地方の伝説的GKのひとりだった。父もアラベス、デポルティーボ・ラコルーニャ、スポルティング・ヒホン、グラナダなどで活躍したGK。GK一家だったのだ。それが独特の深淵なサッカー理論を熟成させたのか。

 エメリはユース年代から戦術ノートを欠かさずつけ、そこから編み出した論理は監督顔負けだった。チームメイトへの指示が予言的で、「サッカー博士」のような存在になったという。

 ただし、選手としては凡庸だった。レアル・ソシエダの下部組織をセカンドチームまでは順調に上がったが、トップチームには定着できず、スペイン国王杯を含めて公式戦6試合、1得点という成績で退団した。そこまでがソシエダのトップチームで残した記録で、その後は2部、もしくは3部のクラブが主戦場になった。

 現役時代に最高位の監督ライセンスまで取得し、33歳で膝の大ケガを負うと、同じチームで監督業をスタートさせた。選手時代の晩年から、「もっと選手の力を引き出せる」と考えていたという。その洞察力によって監督としての道を切り開いた。

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