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「軟球なのに怖かった」 阪神・髙橋遥人の知られざる中学時代 ブルペン捕手を震え上がらせた衝撃の30球

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第18回 髙橋遥人(阪神)

 79勝62敗2分、勝率.560。2位の巨人に2.5ゲーム差をつけ、セ・リーグ連覇を飾った阪神。打率.306、39本塁打、106打点で三冠王に輝いた佐藤輝明を筆頭に、35本塁打の森下翔太、20本塁打の大山悠輔という強打者が並ぶ打線に、近本光司、中野拓夢らの機動力が加わった。そして、チーム防御率2.79を誇る強力投手陣が、他球団の圧力をはねのけ、栄冠をつかみ取った。

 なかでも圧巻だったのが、髙橋遥人の快投だ。

 23試合に登板して16勝3敗、防御率1.87、勝率.842。最多勝と最高勝率の2冠に輝き、開幕から10連勝を記録した。昨季までプロ通算21勝だった左腕が、9年目にして大覚醒。さらに、セ・リーグ史上初となる同一年4度の月間MVPを受賞し、2003年の井川慶以来、球団23年ぶりとなる沢村賞の期待も高まっている。

 コンスタントに140キロ台後半をマークする速球に、140キロ前後のカットボールとツーシーム。さらに、球速差のあるスライダーで緩急をつけ、多彩な球種を両サイドにビシビシ決めてくる。しかも、それらをカウント球にも勝負球にも自在に使い分けるのだから、打者はいったい何通りの配球を想定して打席に立てばいいのか。

 そのうえ、決して力任せに投げようとはしない。さりげない腕の振りから、十分すぎるほど強烈なストレートが飛び出し、変化球はベース上で鋭く曲がり、あるいは視界から消えるように落ちる。これでは、打者はタイミングの取りようがない。

亜細亜大時代の髙橋遥人 photo by Sankei Visual亜細亜大時代の髙橋遥人 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【髙橋遥人との衝撃の初対面】

 驚くなかれ。私は、いまや球界を代表する左腕へと成長した髙橋の全力投球を、彼が中学生だった頃に受けたことがあるのだ。

 2010年。常葉学園橘中(静岡)の野球部は、当時、全国大会常連の強豪だった。かつて中学3年時に軟球で144キロを投げた庄司隼人(元広島/現・広島球団アナリスト)も同校の出身。常葉橘高へ進んだ庄司の全力投球を受けた縁で、当時の指導者から連絡をもらった。

「隼人よりすごいのが出てきました! 今度はサウスポーです。モノが違います。いえいえ、高校生じゃありません、中学生なんです! 髙橋遥人といいます!」

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著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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