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マラドーナ、メッシ、そして...前教皇フランシスコが故郷アルゼンチンで愛される理由

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 新しいローマ教皇にレオ14世が就任した。アメリカのシカゴ出身ということで、どこの野球チームを応援しているかが話題となった。まずABCニュースが「新教皇はカブスファン」と報道したことを受けて、カブスの公式Xが「ハイ!シカゴ 彼はカブスファン」とホームスタジアムに書かれた画像を投稿。しかしその1時間後に、教皇の弟が「彼はホワイトソックスのファンである」と、その噂を否定した。

 一方、亡くなった前任のフランシスコ教皇はアルゼンチン出身らしく、大のサッカーファン。それも出身地ブエノスアイレスのサン・ロレンソのサポーターであることを隠さなかった。アルゼンチンでは彼がサン・ロレンソのクラブ会員であり、教皇になって以降も会費を払っていたのは有名な話だ。ちなみに今、フランシスコのサン・ロレンソの会員証が話題になっている。彼は88歳で、(4月21日)2時35分に死去したのだが、その数字を並べると88235。まさに彼の会員番号だったのだ。

 観戦するだけではなく、他のアルゼンチンの子どもたちと同様、実際にプレーもしていた。彼が初めてボールを蹴ったのは、ブエノスアイレス・フローレス地区の埃っぽい小さなグラウンドだった。あまりうまくはなかったらしく、少年時代の悪友たちは、彼のことを「パタ・ドゥラ」(悪い足)と呼んでいたと、フランシスコは自伝『Hope(希望)』のなかで語っている。

親善試合の前にフランチェスコ教皇に謁見するディエゴ・マラドーナ photo by AP/AFLO親善試合の前にフランチェスコ教皇に謁見するディエゴ・マラドーナ photo by AP/AFLOこの記事に関連する写真を見る フランシスコは、幼い頃からずっとサン・ロレンソを応援していた。日曜日にはいつも父親と一緒に声援を送っていたという。1946年にアルゼンチン選手権でサン・ロレンソのレネ・ポントーニが挙げた歴史的なゴールは、「一生忘れられない」とも語っていた。

 フランシスコは1990年にテレビを断つ誓いを立てた。だが、サン・ロレンソの試合結果だけはバチカンのスイス衛兵(ローマ教皇とバチカンを警護する親衛隊)が毎週、知らせてくれていたらしい。おかげでチームの状況は常に知っていたようだ。

 サン・ロレンソが2024年、チームの新スタジアムに「パパ・フランシスコ」と命名したいと申し出ると、即座にそれを受け入れたという。「教皇は感動して、受け入れてくれた」と、サン・ロレンソの幹部は語っている。

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