プレミアリーグ優勝目前のリバプールの歴史 『ダイヤモンドサッカー』でのみ見ることができた1970年代の黄金時代 (3ページ目)
【1970年代の黄金時代は日本でも見られた】
僕がリバプールFCというクラブに出会ったのは、東京12チャンネル(現テレビ東京)の「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組の画面を通じてだった。1960年代に始まった、イングランドを中心に欧州の試合映像を見ることができる日本唯一の番組だった。
同番組が始まった1960年代後半は、1959年に就任してから15年間にわたってリバプールを指揮した名物監督ビル・シャンクリー時代の後半で、その後、愛弟子のボブ・ペイズリーが引き継いで、リバプールは1970年代に黄金時代を迎えることになる(1972-73シーズンから18シーズンの間になんと11回優勝!)。
つまり、当時の日本のサッカーファンは画面を通してリバプールの黄金時代を見て過ごすことになったのだ。
「ダイヤモンドサッカー」は解説の岡野俊一郎さん(元日本サッカー協会会長)と実況の金子勝彦アナウンサーの掛け合いが名物だった。サッカーの技術・戦術的な解説はもちろん、そのクラブの、あるいはその国のサッカー文化などが軽妙な語り口で紹介された。
たとえば、「コップスタンド」の由来が日本で初めて紹介されたのもこの番組だったはずだ。
スパイオンコップは南アフリカにある標高1500メートルほどの小山で、1899年に始まった「ボーア戦争」の時に激戦地となった。南アフリカで勢力を拡大する英国と、16世紀以来土着していたオランダ系白人の間の戦争だった。そして、「スパイオンコップの戦闘」では英国側だけで約1500名の死傷者が出た。
この故事にちなんで、フットボールグラウンドの大きな(山のような)スタンドを「コップスタンド」と呼ぶようになったのである。そして、とくにシェフィールド・ウェンズデーの本拠地ヒルズボロと並んで、リバプールの本拠地アンフィールドの「コップスタンド」が有名だった。
なぜなら、この時の英国軍はリバプールやマンチェスターを含むランカシャー州の部隊だったからだ(現在はマージーサイドとグレーター・マンチェスターはランカシャー州から独立した自治体になっている)。リバプール出身の兵士も数多く犠牲になったことだろう。だからこそ、「コップスタンド」はリバプールの人たちにとって特別な意味を持っていたのだ。
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