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プレミアリーグ優勝目前のリバプールの歴史 『ダイヤモンドサッカー』でのみ見ることができた1970年代の黄金時代 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【歴史に残る一戦】

 ところが、2005年の準決勝が終わった時、何故か、急に、どうしても決勝を見たくなったのだ。そして、悩んだ末にイスタンブール行きを決めた。

 市内のホテルからスタジアムまでバスが出るというので会場のアタテュルク・オリンピアト・スタドゥに向かった。約8万人収容の巨大な陸上競技場で、記者席はメインスタンドのいちばん上にあったので、ピッチまで遠くて細かいプレーはよく見えなかった。

 そして、試合自体も一方的なものになってしまった。それで、後悔してしまったのだ。

 ところが、後半に入るとリバプールがとんでもない反撃を見せる。

 ラファエル・ベニテス監督はそれまでやったことがないスリーバックに変更。54分にスティーブン・ジェラードがヘディングで1点を返すと、2分後にはウラディミール・シュミチェルがミドルシュートを突き刺し、さらに60分にはジェラードが倒されてPKを獲得。シャビ・アロンソのキックはミランのGKジーダに止められたが、跳ね返りをアロンソが自ら決めて、リバプールはわずか6分間で同点にしてしまったのだ。

 そして、その後ゴールは生まれなかったが、リバプールはPK戦に勝利してビッグイヤーを獲得した。

 こうして、イスタンブールファイナルは歴史に残る一戦となった。試合は見にくかったし、試合終了後には集団スリの被害にも遭ったが、僕は"歴史の目撃者"になれたのである。

2005年チャンピオンズリーグ決勝のチケット(画像は後藤氏提供)2005年チャンピオンズリーグ決勝のチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る 決勝戦が5月25日で、6月3日にはドイツW杯アジア最終予選のバーレーン対日本戦があったので、僕は1週間ほどイスタンブールに滞在してハギアソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿などの世界遺産を堪能してからバーレーンに向かった。

 イスタンブールという都市は、1週間滞在してもとても観光し尽くすことができないような、すばらしい街だった。

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