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プレミアリーグに冠たるモハメド・サラー ストリート育ちの最後の世代になるかもしれない別格の名手 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji

【絶滅危惧種のストリートフットボーラー】

 サラーが生まれ育ったナグリグという町は首都カイロから車で4、5時間の郊外にある。これといった娯楽施設などない、ありていに言えば何もないド田舎だったという。

 14歳でアル・ムカーウィルーンSCにスカウトされた。英語名ではコントラクターズ、カイロの名門クラブだ。週6日、4本のパスを乗り継いで片道5時間。本人は「好きだから、それほど辛くなかった」と言っているが、並大抵ではない。サッカーに専念するために中学は途中までしか行かなかった。このあたりは何百回もこすりつくされたサクセスストーリーである。

 しかし、サラーが独特の能力を身に着けたのはおそらくコントラクターズではない。それ以前のストリートサッカーだ。

 コントラクターズで、サラーはすぐに特別扱いとなり、ドリブル三昧でも指導者はそれをやめさせようとはしなかった。守備も教えなかった。すでにスーパーな少年だったからだ。

 では、ストリートサッカーでサラーは何をして、何を身につけていたのか。それについてはわからないけれども、かつてリバプールで飛車角だったサディオ・マネ(セネガル)もまたストリート育ちのスーパースターだった。現代では希少なタイプと言える。

 ストリートフットボーラーは世界的に絶滅危惧種だ。かつてはすべてのプレーヤーを生み出す源泉だったが、今や欧州はもちろん南米でもストリートは壊滅状態である。サラーやマネが育ったアフリカの一部が例外としてあるくらいで、現代のプレーヤーはことごとく少年期からクラブチームで指導を受けている。これにはいい面がたくさんある反面、失われたものもある。

 フランスの有名な国立養成所、クレールフォンテーヌはティエリ・アンリ、キリアン・エムバペなど幾多のスター選手を生み出してきたが、養成所のチームというものがない。養成所の選手たちは週末には近隣のクラブチームに四散して試合に出る。つまり、養成所は練習のための施設なのだ。この方針はクラブチームに所属して練習、試合を行なう普通のケースの弊害を巧みに回避している。

 選手がチームに所属する場合、チームはリーグ戦や何らかの大会に参戦している。そうなるとどうしても勝敗が重視されてしまう。チームとしていい成績を出すことが優先されてくる。競技において勝敗を重視するのは当然なのだが、選手育成の観点からみれば害がある。短期的に勝つことが目標に据えられると、手っ取り早く勝つためのサッカーになってしまいがちだからだ。

 そこで失われるのは選手の自由な発想による試行錯誤。手っ取り早く勝つための「正解」を教えられてしまうので、時間をかけて自分の正解にたどりつく機会が失われてしまう。プロのトップチームと同じ発想で育成を行なうことで、成長過程における重大な要素が欠落する危険がある。ストリートがなくなった今、それはいっそう深刻な問題だろう。

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