突如、鹿島の監督を解任されたランコ・ポポヴィッチ「温かく迎えてくれたチームがそれを望むなら...」 (3ページ目)
――あてにしていたCBが起用できなくなり、ウインドウが閉まる前に補強についてリクエストはしなかったのか。
「チャルシッチが抜けたあともチームは(補強選手の)リストを持っていました。しかし、それらの選手はわれわれのレベルには達していなかったのです。大金をはたけば、良い選手を取ることができた。しかし適正な価格でなければ、クラブのためにならないと思いました。そこで(関川)郁万と直(植田直通)にがんばってもらうことになりました」
――彼らにはどのようなことを伝えたのか。
「まず激励、そして最終ラインの設定をこれまでよりも10メートルは上げて、高い位置でキープすることを伝えました。変化を起こすときは常に不安がつきまとうけれど、恐れずにプレーしてもらいたいと。ずるずる下がらずにインテンシティを持って後ろの選手が一列目、二列目の選手を押し出すということが重要で、それは簡単な変化ではなかったが、あの二人は早い段階で対応してくれました。だからこそ良いスタートが切れました。一方で替えがきかない選手であるからこそ、レッドカードにリーチがかかった状況でもプレーをさせざるをえなかった。それは本人たちも理解していて、プレーに影響を及ぼしました。カードをもらわないこと、ケガをしないことを心掛けなければならない。そこに安易にプレッシャーをかけるわけにはいかない。そのマネジメントはなかなか難しかったです」
――鹿島アントラーズという常勝を求められるチームに着任し、ゼロから土台を作らなければならなかった。何を変えようと考えていたのか。
「まずメンタリティをどう変えるのかを考えていました。私もSKシュトゥルム・グラーツの現役時代に『勝者のメンタリティ』を(イビツァ・)オシムさんから叩き込まれましたが、鹿島に着任した当初の選手たちはかつての三冠、最多優勝を誇っていた頃とは明らかに異なっていると感じていました。ジーコスピリッツを頭では理解していたが、備わってはいなかった。鹿島のクラブの歴史を学んで来日した私はことあるごとに選手を鼓舞しました。あきらめずに最後まで戦う勝者のメンタリティ、このチームでプレーできる喜びと感謝。同じ方向へ向かおうと選手も共通意識を持ってくれました。目の前の試合をすべて勝ちにいくという気持ちを大切にして、サポーターのエネルギーをプラスにできました。その結果がホームの無敗だったと思います」
――チームが配信する試合当日の映像からもこと事あるごとに鹿島プライドとサポーターへの気持ちを口にしていた。
「サポーターがスタジアムに足を運び、われわれの背中を押してくれたことが大切でした。私はトレーニングのあとのファンサービスも1日も欠かさずに行おうと決めていました。その一体感こそが鹿島の強さだと確信していたからです。私が最も力を入れたことは、これが鹿島アントラーズだという熱量を呼び覚ますことでした。サポーターと接する中で『こういう監督が必要だ』と言ってくれた人がいて、それは私にとって大きなことでした。忘れかけていた鹿島スピリッツを戻せたと思います。だから今、メディアなどから再出発だというような、シーズン前と同じようなコメントが出るのは悲しいことです」
著者プロフィール
木村元彦 (きむら・ゆきひこ)
ジャーナリスト。ノンフィクションライター。愛知県出身。アジア、東欧などの民族問題を中心に取材・執筆活動を展開。『オシムの言葉』(集英社)は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞し、40万部のベストセラーになった。ほかに『争うは本意ならねど』(集英社)、『徳は孤ならず』(小学館)など著書多数。ランコ・ポポヴィッチの半生を描いた『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)が2023年1月26日に刊行された。
【画像】Jリーグ愛が深すぎる! 三谷紬アナウンサーフォトギャラリー
3 / 3