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突如、鹿島の監督を解任されたランコ・ポポヴィッチ「温かく迎えてくれたチームがそれを望むなら...」 (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko

「暖かく迎えてくれたクラブがそういう判断をするなら、私はそれをリスペクトする。私が鹿島で過ごした時間は充実していたし、人生の一部として愛情も情熱も捧げてきた。あそこで仕事をするのは特別だった。ただ日本を去る前に、今でも街中で丁寧に声をかけてくれるサポーターに挨拶できないのは残念だった。私はSNSもやらないし、多くの人に直接会って話したかった」

 会見の機会もなく、指揮官が背中を押してくれたサポーターの前からこつぜんと姿を消してしまうのは、礼を失しているのではないかとの忸怩がポポヴィッチにはあった。志半ばにして離日する前にどんなビジョンを持っていたのか。

「最終節まであきらめずに戦う上で、新潟戦で機能した3バックを続けていこうと考えていました。前節の湘南との試合(2対3)を終えて変化が必要ななか、ケガ人も出ていたあの時のメンバーで鹿島が勝つにはこのやり方だと切り替えました。準備期間は一週間しかなかったのですが、もともと3-4-2-1のフォーメーションはオプションとして持っていて、9月の広島戦も3バックにしてから、徳田(誉)のゴールで追いつきました。

 新潟戦からより攻撃的にいくという意志は、ウイングに樋口を置いたことで理解してもらえると思います。あの試合で彼は2ゴール、1アシストです。それまでなぜ使われなかったのか? 彼のステータスが落ちたわけではありません。樋口はアシストの面で良い選手と評価されていましたが、その中身を見るとセットプレーが大半でした。彼は流れの中で活きるし、そこを活かしたかった。ああいう形で結果を出してくれて私もうれしかった」

――開幕前にCBとして獲得したヨシプ・チャルシッチがメディカルチェックで問題が見つかり、入団が叶わなかった。思えば、ここからDFの層の薄さが露呈していた。

「チャルシッチのことはこのままプレーを続けることで命に関わると言われた瞬間から、躊躇なく休ませました。プロフェッショナルの前にわれわれはひとりの人間であることを忘れてはいけない。仕事よりも彼の人生の方が重要でした」

――彼は今、どんな状態?

「先週も電話で話をしました。手術はベオグラードで成功したのです。ドクターに彼の症状のスペシャリストがいたのが幸いでした。リハビリから復帰して現在はトルコのクラブ、コンヤスポルにいます。早期の対応が良かったと思います」

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