「暴動はいつ起きても不思議ではない」インドネシアのサッカーリーグで活躍 初の優勝を経験した日本人選手の苦労「成功するのは難しい」

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • photo by Nanbu Kenzo

世界こんなところに日本人サッカー選手(6)インドネシア

 いまやサッカー日本代表メンバーのほとんどは海外組となった。昨年のカタールW杯では登録メンバー26人のうち、実に19人がドイツやフランス、イングランドなどサッカーの本場"西ヨーロッパ"でプレーする選手だった。この事実は、日本サッカーのレベルアップのひとつの象徴かもしれない。

 ただ、サッカーはスポーツのなかで最もワールドワイドであり、盛んなのは西欧だけではない。環境や求めるものは、その土地によって様々。世界中のあらゆる地域でプレーしている日本人選手を追った。

 東京ヴェルディユースでは小林祐希(北海道コンサドーレ札幌)や高木善朗(アルビレックス新潟)と同期だった。中京大を卒業後、当時J3のカターレ富山入りするも、リーグ戦出場は2試合のみ。JFLのブリオベッカ浦安、FC大阪時代はサッカースクールのコーチなどもして生計を立てていた。そんな南部健造(30歳)が、海外でのキャリアをスタートさせたのは、2019年、タイ2部のカセサートだった。

インドネシア1部PSMマカッサルでプレーする南部健造インドネシア1部PSMマカッサルでプレーする南部健造この記事に関連する写真を見る その後、約3年間はタイで複数のクラブを渡り歩き、2022年6月にインドネシア1部のPSMマカッサルへ移籍。SNSでコンタクトしてきた現地の代理人を頼って新天地に乗り込むと、初年度からリーグ34試合中33試合に出場するなど、クラブの23年ぶりの優勝に貢献した。

「移籍する前はインドネシアの情報はほとんど持っていなかったのですが、条件は悪くなかったし、AFCカップ(アジアサッカー連盟下でAFCチャンピオンズリーグ/ACLに次ぐ大会。ACL出場割り当て上位国に参加資格はない)にも出られると聞いて、環境を変えてもいいかなと。まさか優勝できるとは思っていませんでしたし、チームの結果が出たことはよかった。ただ、個人的には悔しさも残っていて、すべてに満足しているわけではないですけどね」

 PSMはインドネシアにおいて、とりわけ強豪というわけではない。南部が移籍する前年の2021-2022シーズンも、1部残留を決めるのがやっとだった。しかし、今年4月まで続いた2022-2023シーズンは、南部を含む4人の外国人選手の活躍もあって、見事、頂点に立った。

1 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る