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三竿健斗、相馬勇紀は早くも活躍。カズも渡るポルトガルと日本人選手との相性は? (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

【風穴を開けた中島翔哉】

 しかしながら、国内リーグはかなりタフな場である。泥臭い、と言い換えてもいい。執拗なまでに1対1での勝負が求められ、体力的、精神的に強さが不可欠。少しでもさぼる選手は生き残れないし、修羅場から台頭することによって、真のテクニシャンが生まれてきたのだ。

 また、ポルトガルではサイドバック、ウイング、ボランチ、トップ下というポジションが確立されていた。どれだけドリブルそのものがうまかったとしても、ポジションの役目を果たせなかったら、居場所はない。たとえばウィングバックだったら、そのシステムを用いるチームであるほうがベターで、さもなければサイドバック、ウイングに適応できない限り、定位置はつかめないのだ。

 日本人がなかなか活躍できなかったポルトガルリーグに風穴を開けたのは、中島翔哉(現アンタルヤスポル)だろう。

 ポルティモネンセのテクニカルディレクターがロブソン・ポンテ(浦和レッズでも活躍した攻撃的選手)で、理解者がいたことも大きかったが、FC東京でも冷や飯を食らっていた中島が活躍できたのは、まさにウイングとしてのドリブルがポルトガルの風土とマッチしたからだった。1年目は29試合10得点で注目を浴び、中東経由で強豪FCポルトに移籍。独創的ドリブルは日本にいた時よりも称賛を受けた。

 中島の成功で、ポルティモネンセは日本人選手に門戸を広げている。権田修一(清水エスパルス)、安西幸輝(鹿島アントラーズ)、西村拓真(横浜F・マリノス)、現在も所属する中村など、うまくいった例も、そうでない例もあるが、流れを止めずに移籍の道を確保した。

 その傾向は、リーグ全体に伝播。他のクラブも前田大然(セルティック)、食野亮太郎(ガンバ大阪)などに挑戦の場を与えた。日本人選手の評価が定着したのだ。

 欧州各国リーグのどこであれ、日本人選手が多くなるケースは、基本的にこの論理である。リーグで成功したひとりの選手がパイオニアになって、日本人選手の評判を高め、さらに後から入ってきた選手が道を広げる。後が続けば、移籍経路ができる。

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