旗手怜央、初の海外組として参加した日本代表戦の大変さを振り返る。「ボールが二重に見えた」

  • text by Harada Daisuke
  • photo by Sano Miki

旗手怜央の欧州フットボール日記 第3回 連載一覧はこちら>>

Jリーグの川崎フロンターレから、スコットランドのセルティックに活躍の場を移した旗手怜央。初めての欧州サッカー、欧州生活で感じた、発見、刺激、体験を綴っていきます。第3回は「海外組初体験」となった日本代表戦と、その後のレンジャーズ戦について、過酷な日々を振り返ります 。

◆ ◆ ◆

結果を残し、生き残るのが日本代表

 ゴールを決めたわけでもなければ、アシストを記録したわけでもない。

 それでも4月3日のレンジャーズ戦(リーグ第32節)は、自分にとって意味のある、そして価値のある一戦だった。

 今回初めて、いわゆる"海外組"の立場で、日本代表の活動に参加した。プレーしたのは、3月29日に戦ったベトナム戦の前半45分だけだった。日本がカタールW杯出場を決めた3月24日のオーストラリア戦のピッチに立つことはできなかったけど、選手としてあの瞬間に立ち会えたのは、自分のサッカー人生においてとても光栄で幸せなことだった。

カタールW杯アジア最終予選最後のベトナム戦で、A代表戦デビューをした旗手怜央カタールW杯アジア最終予選最後のベトナム戦で、A代表戦デビューをした旗手怜央この記事に関連する写真を見る 同時に、結果を残したのが川崎フロンターレ時代の同期である(三笘)薫だったこともあり、自分自身ももっと成長しなければと、改めて決意する契機にもなった。心境としては、まだまだぼんやりとしているけれども、薫の活躍を見て、自分も日本代表の一員として結果を残し、W杯のピッチに立ちたいという気持ちも芽生えた。

 前半45分間のみのプレーに終わったベトナム戦は、選手としては正直、もっとやりたかったというのが本音だけど、インサイドハーフで出場できたこともあり、セルティックでやっているプレーはできた感覚もあった。

 同時に4-3-3システムでは、ともにプレーする中盤3人の特長とやりたいことを瞬時に理解して、最大値を発揮する"即興力"が問われることも再認識した。個人的には2本のシュートを打つ機会に恵まれながら、それを活かせなかった悔しさも残っている。

 W杯出場を決めたあと、先輩たちが「ここからまた新たな競争が始まる」と、話してくれたが、限られた時間のなかで結果を残した選手たちが生き残っていくのが代表の世界であることも身に染みて感じた。

1 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る