旗手怜央、初の海外組として参加した日本代表戦の大変さを振り返る。「ボールが二重に見えた」 (2ページ目)

  • text by Harada Daisuke
  • photo by Sano Miki

W杯本番のメンバー入りにチャレンジしたい

 4月1日にあったW杯本大会の組み合わせ抽選会は、リアルタイムで視聴した。正直な感想としては、ここに入ったら厳しいなと思っていたグループに組み込まれたと、最初は思った。

 一方で、日本としては厳しいグループを勝ち上がっていくことに意味があるのではないかとも感じた。セルティックへの移籍を決断したのも、このチームで結果を残し、チャンピオンズリーグ(CL)の舞台に立ちたいという思いがあったからだ。ドイツ、スペインといったCLに出場している常連のような選手たちと、真剣勝負ができる舞台を欲して、自分はヨーロッパに渡ったのだから。

 抽選会を見ながらカタールW杯の日程を確認すると、開幕は11月21日になっていた。偶然にも自分が25歳になる誕生日だった―― 。

 その瞬間を自分はどういう状況で、どういう心境で迎えているのだろうか。

 ふと思い出したのは2021年の東京五輪2020だった。結果的に4位に終わったあの大会で、自分は5試合に出場することができた。メダルを逃した悔しさは今もなお残っているけれど 、思い起こせば東京五輪を目指す日本代表の活動がスタートした時、自分は決して主力と言える位置づけではなかった。

 おそらくメンバー選考においても、いわゆる当落線上にいただろう。コロナ禍により大会が1年延期されたこと、川崎フロンターレで左サイドバックという新境地を拓けて、自分は五輪の舞台に立つことができた。

 同じように今は、日本代表にコンスタントに選ばれ、結果を残している選手ではないけれども、W杯が開幕する11月21日までに、自分がどれだけ成長できているかはわからない。でも、そこにチャレンジしてみたいという思いが沸いた。

 そして、冒頭の話題に戻る。

 日本代表の活動を終え、戻ってすぐに行なわれたレンジャーズ戦に先発出場の機会をもらえたことが、自分にとっては大きかった。

 1月17日のハイバーニアン戦でデビューしてから、ヨーロッパの強度を感じるなかで、ここまで連戦を戦ってきた。その間、ずっと試合に起用し続けてもらっているのは、チームの信頼を勝ち得てきている証として、大きな自信につながっている。

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