中村俊輔、伝説のFKから15年。左足の「魔法」によって現地記者の人生は大きく変わった (4ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by AFLO

 あのFKが生まれた夜、中村はひとつの逸話を残している。チームメイトと勝利の喜びを分かち合った直後、クラブハウスのジムに向かい、トレーニングを行なったのだ。

 そうした姿勢はチームメイトやゴードン・ストラカン監督に多大な影響を与え、スコットランドメディアは驚きを持って伝えた。『デイリーメール』のウィルソンが回顧する。

「中村はそのテクニックで崇高な瞬間を何度も生み出した。同時にプロフェッショナリズムと、サッカーへの姿勢という点で模範になった。そうした取り組み方は、信じられないほど長い現役生活として結実している」

 あのFKの翌年、マクファーソンは『ヘラルド』に移り、中村を取材する機会が多くなった。

「中村は技術がとても高く、創造的で、イノベーティブでもあり、チームにとって重要な選手だった。どこか特別な存在だったね。あの時代、スコットランドサッカーに彼がいたのは、我々にとってラッキーだった。中村は多くの試合に明かりを灯してくれた」

 中村に関する本が処女作となったグレイグは数年後に独立し、「バックページ」という出版社を設立して良質なサッカー本を世に送り出している。日本人レフティに魅せられたこのスコットランド人が振り返る。

「中村は今までスコットランドでプレーした選手のなかで、最も技術的に成熟していたひとりだ。彼の滑らかなファーストタッチが大好きだったけど、何より魅了されたのはサッカーに対する献身的な姿勢だ。身体を最高の状態に整えることを何より大切にし、だからこそ全盛期に、あれほど質の高いプレーをセルティックや日本代表で見せることができた」

 11月21日は、今でもセルティックにとって特別な1日だ。SNSにはクラブの公式アカウントから中村のFKの動画が投稿され、サポーターたちが懐かしの投稿をするのが恒例になりつつある。

 あの夜、グラスゴーから時空を超えて広がったように感じられた幸せの記憶は、今も多くの人々の心に刻まれている。

マリノス「背番号10」時代の中村俊輔

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