デル・ピエロが現場復帰? 引退後の紆余曲折を経て監督コース入り (4ページ目)
「夢のような日々をともにした仲間と、常につながっていたかったから。もちろん、ほとんどの場合は近況報告や、くだらないおしゃべりをするくらいだが、昨年はこのグループから大きなものが生まれた」
昨年イタリアがコロナで大打撃を受けた際には、このメンバーが発起人となって寄付を募った。
「ほとんどの選手はすでに個人で何らかのアクションを起こしていたが、皆、もっと大きな活動をしたいと思っていた。かつて国中に応援してもらった僕たちは、イタリアすべてに恩返しをする必要を感じていたからだ。どういう風にやるかはすべてこのチャットで話し合って決めた。(ファビオ・)カンナバーロなんかは中国にいるのに、いろいろ手を尽くしてくれたよ」
その結果、1カ月のうちに4台の救急車をイタリア赤十字に寄付することができた。4台にしたのは、W杯通算優勝4回優勝にちなんでだという。
デル・ピエロが、例えば監督としてチームに戻ってくることはないのだろうか。彼はこれまでのインタビューで、たびたびそのことについて語っている。そこからは気持ちの変遷がうかがえる。
引退直後の頃は「サッカー界への扉は閉めてはいないが、今は自分がやっている他のことや、試合の解説だけで十分だ」と語っていた。それが数年後にはこう変わっていた。
「今はそのことを考えている。難しいが、やりがいがあり、熱い仕事だ。少なくともそれがどんな仕事であるかを、僕は肌で知っている。僕は(ファビオ・)カペッロ、(カルロ・)アンチェロッティ、(マルチェロ・)リッピという3人の名将の下でプレーしてきた。特にリッピとはともにすべてを勝ち取って、特別な関係にあった。まだ監督の勉強はしていないが、彼らから学んだことは少なくないと思う」
今シーズンが開幕した時も「監督をするというアイデアはいつも僕の頭の中にある」と語っている。もしかしたら、かつての同僚アンドレア・ピルロがユベントスの監督に就いたことと無関係ではないかもしれない。
そしてこの1月、デル・ピエロはインスタグラムに、オンライン会議待機中のパソコン画面をアップした。そのハッシュタグには"corso per allenatori(監督コース)"と書かれていた。
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