2021.03.11

デル・ピエロが現場復帰? 引退後の紆余曲折を経て監督コース入り

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

あのスーパースターはいま(7)

 1993年の夏のことだった。ユベントスの練習場に取材に行った筆者に、知り合いの記者がひとりの選手を指さしこう言った。

「彼はパドバから来たばかりの選手だが、必ずイタリアを代表するような大物になる。覚えておくといい」

 まだ少年の面影を残すその選手は、集団の練習が始まる前からひとり黙々とランニングをしていた。名前を尋ねると、彼はこう答えた。

「アレッサンドロ・デル・ピエロ」

 ベテラン記者の言うとおり、彼はユベントスでめきめきと頭角を現し、多くの伝説を作り上げていった。ケガで欠場が増えてきていたロベルト・バッジョに代わってチームのファンタジスタを務め、フィリッポ・インザーギと「デル・ピッポ」と呼ばれるコンビを組んで多くのゴールを挙げた。

 特に彼の左45度からの鋭いシュートは有名で、そのポジションは「デル・ピエロゾーン」と呼ばれた。2001年から2012年までユベントスのキャプテンを務め、八百長事件を起こしたことでチームがセリエBに落とされても、決して見捨てなかった。

 またイタリア代表では3回のW杯に出場し、最後の2006年ドイツ大会では自らも重要なゴールを決めて、世界チャンピオンの座を手に入れている。

ユベントスで513試合、イタリア代表で91試合に出場したアレッサンドロ・デル・ピエロ 2012年にユベントスを去ったデル・ピエロは、その後オーストラリアのシドニーFCでプレー、最後はインドのスーパーリーグでキャリアの幕を閉じた。イタリアから離れた遠い国での緩やかな引退だった。

 引退直後のデル・ピエロは、やはり他の選手たちと同じように、張りつめたものが切れてしまった状態になったようだ。

「現役時代は自分がしなければいけないことははっきりしていた。人生はシンプルで練習と試合、そしてリカバリーに集中していればよかった」

 引退当時を振り返り、デル・ピエロは語っている。

「しかし、引退後はすべてが変わった。これまで慣れ親しんだもの、生活様式、すべて変わってしまった。ロッカールームやチームメイトが無性に懐かしく感じた。何よりも一番恋しかったのは、その達成感だ。たぶん引退後の僕は100%満足したことがない。僕は本当にサッカーをプレーすることが好きだった」