監督が重宝する多機能型の始まり。フランスW杯のコクーから酒井高徳まで (2ページ目)
この変化を潤滑油として支えた、チーム一の多機能型選手はフィリップ・コクーになる。大会終了後、PSVからバルセロナに移籍。選手として大きく飛躍した最大の要因は、98年フランス大会で披露した、多機能性溢れる、見るからに賢いプレーだった。センターバック(CB)、サイドバック(SB)、守備的MF、さらにはトップも務めた。
ロナルドとフランクのデ・ブール兄弟も多機能性に富んでいた。右ウイング、センターフォワード......と、攻撃的なポジションならどこでもこなした兄ロナルド。弟のフランクは、逆に守備的なポジションならどこでもこなした。
PSVで鳴らしたコクーに対し、デ・ブール兄弟は、アヤックスの出身だ。1994-95シーズン。決勝でミランを倒し、欧州一の座に就いたチャンピオンズリーグ(CL)覇者で、翌1995-96も決勝に進出。ユベントスに延長PK負けしたが、魅力をふんだんに見せつけた。CL史でも一、二を争う美しい敗者として位置づけられる。
この時は、アヤックスの監督を務めたルイス・ファン・ハールも、戦術的交代を得意にしていた。98年フランスW杯とは違い、この時の交代枠は2人で、選手交代は監督采配としてさほど重要視されていなかった。戦術的交代、多機能型選手なる言葉が浸透し始めたのは98年フランス大会以降なので、この時すでに戦術的交代を駆使していたファン・ハールは、ヒディンクより画期的な存在だった。
多機能性を発揮してチームの潤滑油となったのはデ・ブール兄弟と、この連載の4回目(『武田修宏、岡崎慎司、リトマネン...「ごっつぁんゴール」の名手とそのスゴさ』)でも登場したヤリ・リトマネンになる。
98年フランスW杯のオランダ代表で、コクーがはたした役割を、この時のアヤックスでは、当時、無名だったフィンランド代表選手が担っていた。リトマネンは、中盤ダイヤモンド型3-4-3の1トップ下を基本ポジションとしながら、CF、菱形の中盤の4カ所すべて、そしてCBまでこなしていた。
CL得点王(1995-96シーズン)に輝き、バロンドールの投票でも3位に入ったハイクオリティな選手と言えば、監督にとって使いにくい選手に見えるが、リトマネンはどこでもプレー可能な、使い勝手抜群の、希有な選手だった。
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