ミラン黄金期を築いたオランダトリオ。その後は3者3様も監督では大成せず (3ページ目)
現在、ファン・バステンはいくつかのテレビ局で解説をしている。2008年に購入したアムステルダムでも1,2を争う豪邸に住み、すでに2人の孫もいる。
昨年、彼は自伝を出した。オランダ版のタイトルは「BASTA(もう十分)」だが、イタリア版は「Fragile(壊れ物)」となっている。メディアの取材も多く受けるようになり、ここにきてようやく選手時代を振り返ることができるようになったのかもしれない。
3人の中で一番早く監督になったのはフリットだ。1998年にチェルシーで現役を終えたが、その2年前からプレーイングマネージャーをしていた。その後ニューカッスル、フェイエノールト、ロサンゼルス・ギャラクシーなどを率いたが、彼もまた監督として大成功したとはいえず、2011年からはどこのチームも率いていない。
ただ、2018年にeスポーツのチーム「チーム・フリット」を結成。10代の少年らとともに国際大会にも出場している。FIFA20ではアタランタとパリで行なわれたチャンピオンズカップで優勝もしている。
フリットは社会問題や政治にも興味を持ち、特に南アフリカのアパルトヘイト撤廃に現役時代から力を注いでいた。レゲエが好きなフリットは、反アパルトヘイトの『サウスアフリカ』という歌を1984年にリリース、オランダのヒットチャートに入ったこともあった。1987年にバロンドールを受賞した時には、それを反アパルトヘイトの指導者であったネルソン・マンデラに捧げた。マンデラも「今は私に多くの友人がいる。しかしルートは私が囚われていた時代からの数少ない友人だ」と語っている。
これまでに3回結婚し、それぞれの妻との間に2人ずつ、計6人の子供がいる。3人目の妻のエステルはヨハン・クライフの姪っ子でもあり、両親からサッカーの才能を受け継いだのか、彼らの間に生まれたマキシム・グリットはプロのサッカー選手だ。現在19歳の彼はオランダのAZに所属し、昨年10月29日にはヨーロッパリーグの試合でトップチームデビューを果たした。オランダU-19代表入りも果たしており、注目を集めている。
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