ベンゲルの選手発掘術。選手が偉大になるかどうかがわかる年齢とは? (3ページ目)
ベンゲルは朝5時半に起き、日中は練習場で過ごし、夜は郊外のつつましい自宅で世界中のフットボールの試合をテレビで見まくった。1997年にひとり娘のレアが生まれた時も、「仕事にかまけていて、子どもを授かることが非常に大きな幸福だと気づいていなかったと思う」と、ベンゲルは言う。「今は後悔もある」と言うが、フットボールを二の次にしたことは一度もなかった。
ベンゲルはアーセナルを率いて、就任からの8シーズンで3度のリーグ優勝を果たした。そのうち2度は、FAカップ優勝との「ダブル」だった。
2003-04シーズンにアーセナルは無敗でリーグ優勝を果たし、「インビンシブルズ(無敵の集団)」の名を勝ち得た。アーセナルは当時のイングランドで最高とも言える攻撃的フットボールを展開していた。この年のベンゲルは、フットボール界でもっとも尊敬される監督だったろう。しかし彼がリーグタイトルを手にするのは、この年が最後となった。
自伝の中でベンゲルは「どんな犠牲を払っても勝つ」という姿勢を痛烈に批判している。ちょっと待ってください、と僕は言った。彼自身、「どんな犠牲を払っても勝つ」監督に見えることが多かったではないか。審判を批判することもあったし、ライバルで友人だったマンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンと取っ組み合いをしたことがあるとも伝えられる。
「ああ、それは本当だ」と、ベンゲルは認める。「まったく矛盾しているよ。私は往生際の悪いバッド・ルーザーだった」
彼にとって最悪の敗戦は、2006年にパリで行なわれたバルセロナとのチャンピオンズリーグ決勝だった。アーセナルはGKのイェンス・レーマンが早い時間に退場処分を受けたが、後半に入って残り時間が少なくなっても1-0でリードしていた。その後、アンリがGKと1対1の局面でシュートをはずす。それからバルセロナが2ゴールを決め、アーセナルは逆転されてしまう。
ベンゲルは振り返る。
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