元レイソル鈴木大輔が語る、スペインデビューまでの「激動の90日間」 (6ページ目)
ナノはセンターバックとして4部、3部、2部、1部とクラブをステップアップし、ベティス時代にはチャンピオンズリーグにも出場している。レバンテではセルヒオ・マルティネス・バジェステロスとコンビを組み、ベテランらしい熟練のディフェンスを見せた。同じポジションで鈴木と対戦したことのある理解者が、偶然にも練習参加したチームにいた幸運だった。
「面白い選手だ」
鈴木本人には知らされなかったが、その能力は初日で首脳陣に認められていたという。
「不思議な巡り合わせですよね。いくつもの偶然が重なっていて。ACLがヨーロッパに繋がっていたんですよ」
鈴木は楽しそうに言うが、その縁を繋げられたのは、彼がバカになれたからだろう。
契約するだけで相当の難しさがあった。誰もが選ぶ道ではないだろう。スペインの2部では、給料が上がるはずもない。しかし出世次第で、得られるものは想像以上である。例えば、もしナスティックが1部に昇格したら、鈴木はバルサやレアル・マドリードというビッグクラブと対戦する。ひと言でいえば、夢をつかめるのだ。
厳しい環境に身を置く。それは夢をつかむための賭けだった。
「まあ、確かにどうかしてますよね(笑)でも、俺は25歳で、これから何倍にも返ってくるものがある、そう考えています。それにとにかく海外は決めていたんで」
鈴木は笑みを浮かべるが、その賭けに出るだけの根拠はあった。
「自分の人生において、しんどいときというのが、あとあとになって一番成長に繋がっているんですよ 。(アルビレックス)新潟から柏に移籍したときもそうだったし。だから、成長するには厳しい環境に身をおくべきだと思っているんです。その成功体験があるから、今回も同じステップを踏んだ、というだけのことなんですよ」
清々しいほど、単純明快だった。バカになれる。それは彼の才能だろう。
(つづく)
著者プロフィール
小宮良之 (こみや・よしゆき)
1972年横浜出身。スポーツライター。 2001年から2006年までバルセロナで活動後、日本に拠点を移す。人物インタビューに定評があり、主な著書に「RUN」(ダイヤモンド社)、「アンチ・ドロップアウト~簡単に死なない男たちの物語」(集英社)
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