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【イングランド】実はサッカーの試合のほとんどは退屈だった (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 90年代以降、フットボール界に入ってくる金は増え、選手は簡単に移籍できるようになった。もしも僕が21歳の億万長者で、女の子たちやフェラーリの営業マンが毎日うるさいくらいにかまってくれたら、僕だっていろいろな誘惑に負けるかもしれない。もしも今の職場より同僚に恵まれていて格も上の組織から、5倍の給料を払うから来ないかと言われたら、やはり僕は誘惑に負けそうになるだろう(ジャーナリストの世界では、そんなうまい話はまずありえないが)。

 今まで僕がインタビューした選手たちは、たいてい完璧なほど感じがよかった。だから僕が抱えている問題は選手たちのせいではない。むしろ僕は、フィールドの中のゲームそのものが特別に好きではなくなったのだ。

 僕が子どものころは試合がテレビで生中継されることなどほとんどなく、週に1度のハイライト番組が最高の楽しみだった。ところが今は週末のたびに6試合はライブで見られるから、長年の秘密がばれてしまった。実はフットボールの試合は、ほとんどが退屈なものだったのだ。

 しかも試合は次々と休みなしに行なわれるので、同じことが何度も繰り返されているように感じてしまう。いくらリオネル・メッシが史上最高の選手でも、今は彼を年に60回は生中継で見られるから、どんなプレイでも前に見たことがあるような気になる。メッシがドリブルで4人を抜いてゴールを決めた。またか......。

 それでも試合自体はまだ我慢できる。息子たちが大きくなったら、僕はフットボールの試合に連れていくだろう。フットボールは家族で出かける口実としては完璧だ。フットボールがなかったら、息子たちはティーンエイジャーになったとき、いったい僕と何を話してくれるというのだろう?
(続く)

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