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サッカー日本代表GKが政治家になるまで 「最初は担がれて出馬しただけ。落選は当然でした」 (2ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Masao Kurihara

【落選はムダではなかった】

 その後はさまざまな道を模索するなか、4年後の2015年にさいたま市議選に出馬し、見事当選。以降2019年、2023年と当選を重ねてきた。

「落選したあとは3、4カ月、何もする気がおきませんでした。どうすべきか、さんざん悩みました。ただ、引き続き応援してくれる人がいたので、今度は自分で考えを整理し、市議選への挑戦を決めました。

 考えてみれば僕の人生は、国見高校(長崎)に無理やり入学させられたことを除けば(笑)、すべて自分で決めてきました。最初の選挙はそこがブレてしまった。自分でやると決めたら、いっさい言い訳はできません。来年(2027年)には4期目をかけた選挙がありますが、もし最初に当選していたらここまで続けられていたかどうか......。いまだから言えますが、一度落ちて4年間浪人して自分を見つめ直し、180度変えることができました。落ちたこともムダではなかったと感じています」

 初当選までの浪人期の4年間、時折サッカー関係のイベント出演などの仕事はこなしていたが、定期収入はゼロ。当選後も右も左もわからない状態で、最初の1、2年は苦労が絶えなかったという。

「浪人していた4年間は長かったし、苦しかったです。現役時代は、スポーツ紙のサッカー欄くらいしか見ていなかったので、毎日、新聞を読む習慣をつけるだけでも大変でした。最初は外出のたびにスーツにネクタイをつけるのも苦痛でしたが、いまではそっちのほうがラクです。

 議員になりたての頃は、行政用語はもちろん、予算書を見ても『何がどうなっているのか?』と、まったくわかりませんでした(苦笑)。ただ、本当にゼロからのスタートで、わからないことは恥ずかしげもなく職員さんに聞きに行きました。いまでもわからないことがあれば、すぐ人に聞くようにしています。なかにはプライドが邪魔して、わからないことを素直に聞けない人もいると聞きますが、そういうことがなかったのは、逆に強みになったのかもしれません」

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