【Jリーグ連載】読売クラブのアカデミーにおけるシビアな競争社会 「練習に行くのがすごく嫌だった」"劣等生"の回想
東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第37回)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく連載の第3章は、同クラブのアカデミーで育ち、指導者としても後進の育成に尽力してきた菊原志郎氏と冨樫剛一氏が、同アカデミーの歴史、伝統、環境、哲学、本質......すべてを語り尽くしていく――。
菊原志郎(現FC今治U-12監督)の言葉を引けば、「判断が悪いと、『サッカー知らないな』って言われる」のが、読売クラブのアカデミー。子どもと言えども、そこにはシビアなまでの競争社会があった。
のちにトップチーム昇格を果たす冨樫剛一(現横浜F・マリノスユース監督)も、アカデミー時代は残酷と表現してもいいほどの厳しさを味わっていた。
読売クラブのアカデミー時代を振り返る冨樫剛一氏 photo by Miki Sanoこの記事に関連する写真を見る 中学1年生の冨樫が、ジュニアユース(当時の名称はユースB)のチームに所属していた時のことだ。
練習開始前、みんなでボール回しをしていると、監督の小見幸隆、コーチの竹本一彦がやってきた。
「今日の賞品は、ラモスのスパイクだぞ」
小見の手にあったのは、正真正銘、当時のスター選手であるラモス瑠偉が使用していたスパイクである。
「あれ、非売品だよ」
色めき立つ選手たち。彼らはこれから行なわれるゲーム形式の練習で、スパイク争奪戦を繰り広げることになる。
まずは3年生の4人がそれぞれのチームのキャプテンとして指名され、じゃんけんをして勝った順に欲しい選手を選び、チーム分けを行なう。いわば、即席ドラフトだ。
大抵の場合、3年生から選ばれ、続いて2年生が選ばれ、1年生も次第に残り人数が少なくなっていく。
そして最後まで残るのが、冨樫だった。
「ひどい時は、じゃんけんに勝った先輩が『(冨樫は)いらない!』って言うんです」
かかっているものが大きいだけに、先輩たちが人選にこだわるのも無理はないが、「僕らは1年生だし、3年生から『体張れ!』とか、『おまえなんか蹴っときゃいいんだよ!』とか言われながら」、冨樫は上級生に食らいついていくので精一杯だった。
冨樫が、苦笑いを浮かべて回想する。
「練習に行くのがすごく嫌でした。先輩たちも怖かったし。それくらい、なんかこう......純然たるランクをつけられるんです。それに耐えられないヤツはやめていくし.......。だから、本当に苦しかった思い出しかないです。
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