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釜本邦茂を想起させたストライカー田原豊が振り返る 豪快弾の数々とパサーとしての中村俊輔、遠藤航... (4ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

「航もそうだけど、みんなサッカーIQが高い。サッカーはひとりの選手がボールを持つ時間は限られていて、ボールを持っていない時にそれぞれがどう動くかが大事になってきますが、みんながどう動いたらいいかをわかっている。

 ただ、やっぱりストライカーだけは足りないみたいな(苦笑)」

 もし現在の日本代表のなかに田原がいたら?

「自分はひとりで打開してゴールを決められるタイプではない。でも、いまの代表には三笘薫や伊東純也など、サイドにいい選手がいるし、真ん中にいたらいいボールが来るでしょうね。めっちゃ点取れる気がします(笑)」

 田原は決して自分を過大評価しているわけでない。自分のスタイルに確かな自信を持っているだけなのだろう。

「一緒にプレーした選手に僕の印象を聞けば、ほとんどの選手が"ポテンシャルはワールドクラスだった"って言うんじゃないですかね」

 田原はそう言うと、少し照れくさそうに笑った。

 ピッチを離れて10年。43歳になっても、そこにはあの頃のままの純粋な田原がいた。

田原豊(たはら・ゆたか)
1982年4月27日生まれ。鹿児島県姶良(あいら)市出身。鹿児島実業高校時代は、恵まれた体格から繰り出す豪快なプレーで超高校級FWと称された。2年時の高校選手権では1学年上の松井大輔との2トップで攻撃をリードし、準優勝に貢献。2001年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)では背番号9を託され、全3試合に出場した。Jリーグでは横浜F・マリノス、京都サンガ(現京都サンガF.C.)、湘南ベルマーレ、横浜FCと渡り歩き、京都で2度、湘南で1度のJ1昇格に貢献。2014年にタイのサムットソンクラームを経て、2015年の鹿児島ユナイテッドでのプレーを最後に引退した。

著者プロフィール

  • 栗原正夫

    栗原正夫 (くりはら・まさお)

    1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。

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