【Jリーグ】ジュビロ磐田・福西崇史が2002年の史上最強チームを語る「鹿島に負けた屈辱が原動力になった」 (4ページ目)
【まだ何かが足りていなかった】
やっぱり鹿島は特別な存在でしたし、やられてしまったイメージも強くあります。ただ2001年に関しては、シーズン中も2回やって両方とも勝っていましたし、年間の勝ち点でも20ポイント近く差をつけていましたから、自分たちが上回っているという自負がありました。
それでも結局、チャンピオンシップで負けてしまった。どんなに過程がよくても、最後に結果を出さなくては意味がないんですよ。つまり、あの時の僕らは、まだまだ何かが足りていなかったということ。
じゃあ、どうすればいいのかと言えば、ファーストも、セカンドも、両方獲ればいいだろって。だから2001年に味わった屈辱が、2002年の完全優勝の原動力になったことは間違いありません。
(つづく)
【profile】
福西崇史(ふくにし・たかし)
1976年9月1日生まれ、愛媛県新居浜市出身。1995年に新居浜工高からジュビロ磐田に入団。ハンス・オフト監督の勧めでFWからボランチにコンバートする。激しいプレーで磐田の黄金期を支え、Jリーグベストイレブンを4度受賞。2006年限りで磐田を退団し、FC東京→東京ヴェルディを経由して2008年に引退。その後は指導者・解説者として活躍しつつ、2018年には南葛SCで現役復帰し、翌年は監督も務めた。日本代表として2002年・2006年のワールドカップに出場。国際Aマッチ通算64試合出場7得点。ポジション=MF。身長181cm、体重77kg。
著者プロフィール
- 原山裕平 (はらやま・ゆうへい)- スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。 
【フォーメーション】ジュビロ磐田2001年〜2002年「N-BOX」システム
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