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【Jリーグ】ジュビロ磐田・福西崇史が2002年の史上最強チームを語る「鹿島に負けた屈辱が原動力になった」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【ショックで誰もしゃべらなかった】

 キャンプの時に「この形でいく」とマサくん(鈴木監督)に言われた時には、正直驚きました。

 実際に形を作っていくなかで、なかなかうまくいかないので「もうやめよう」と話し合ったこともあります。でも、マサくんは頑(かたく)なだったので、ひとまずこのまま開幕を迎え、シーズン中にマイナーチェンジしていけばいいと思っていました。

 おそらく序盤で結果が出なかったら、早々にあきらめていたと思います。でも、開幕戦でジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイッテッド千葉)に4-1と快勝し、そのまま8連勝を達成したんですよ。最初は選手たちも首を傾げながらやっていたんですが、結果を出していくことによって、自信というものが芽生えていったと思います。

 結局、ファーストステージはわずか1敗で優勝して、セカンドステージに入っても初戦でガンバ大阪に負けて以降は、連勝を続けました。

 これまで僕らはJリーグで2回優勝していたので、この年は「世界で勝つ」というモチベーションの下でプレーしていました。Jリーグで勝つことは当たり前で、その先を見ていたんですよ。

 半信半疑でスタートしましたが、こうやって結果を残すことができた。このままの状態であれば、世界でも戦えるという自信もありました。だから、運営会社の倒産によりクラブ世界選手権が中止になったのは、本当にショックでしたね。

 たしかそのニュースを聞いたのは、コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)戦の前のミーティングの時だったと記憶しています。みんなショックで誰もしゃべらない。ミーティングもやめて、スタジアムに行って、それでも試合には勝ちましたが、喜ぶ選手はほとんどいなかったと思います。

 そのために準備をして、新しいことに取り組んできたのに、今までやってきたことはなんだったのかって。ただ、モチベーションを失ってしまいましたけど、プロである以上はやらなきゃいけない。何とか気持ちを切り替えました。しかし結局、あの年はセカンドステージで2位になり、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに負けて、タイトルを獲ることができませんでした。

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