浦和レッズを強豪に変えたブッフバルト 監督として3つのタイトルをもたらした
Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第16回】ブッフバルト
(浦和レッズ)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第16回はギド・ブッフバルトを取り上げる。浦和レッズの歴史を編んだ外国人選手は多いが、そのなかでも彼は特別な存在だろう。Jリーグにやってきたセンターバックのなかでも、歴代最高と言って差し支えない。選手の評価基準は人それぞれだとしても、彼の足跡には減点材料が見当たらない。
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ブッフバルト/1961年1月24日生まれ、ドイツ・西ベルリン出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る さて、いったいどこから手をつければいいだろう。
何を書くべきだろう。
ブッフバルト──愛称「ギド」のキャリアには、語るべき多くのシーンがある。彼を知る人の数だけ、トピックがある。浦和レッズの一員としてJリーグに残した足跡だけでも、一冊の単行本が仕上がるぐらいだ。
Jリーグ開幕2年目の1994年夏に来日した。ドイツ代表としてアメリカワールドカップに出場し、準々決勝のブルガリア戦に敗れた1週間後にはもう、極東の島国にやって来ている。
翌日には記者会見に臨み、10日も経たないうちに公式戦に初出場した。鹿島アントラーズとのナビスコカップである。
アウェーの浦和は白いユニフォーム、黒のパンツを着用した。ドイツ代表で見慣れたカラーが、世界を知る男がやってきたという事実をあらためて告知しているかのようだった。
ポジションは守備的MFだった。3バックと連係し、鹿島の得点源アルシンドをシャットアウトする。公式戦4連敗中の敵地カシマスタジアムでつかんだ初勝利は、ギドとウーベ・バインの新加入コンビがもたらしたものだった。
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
























