岡野雅行が振り返る「地獄の日々だった」高校時代 「それでも逃げなかったことが今につながっている」
学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】岡野雅行インタビュー/第3回(全4回)
まるで漫画の世界のような高校生活を送ってきた岡野雅行氏 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る
漫画みたいな大乱闘から始まった高校のサッカー部でしたけど、とにかく続けていたら、だんだんと強くなっていきましたね。
僕らが3年生になったときには、選手権(全国高校サッカー選手権大会)の県予選前に、「"あの高校"が、今や優勝候補!」みたいな感じで新聞に特集されるまでになり、今度はサッカーで有名になりましたから。
だって、もともとヤンキーだったヤツらがふたり、島根県選抜にも選ばれたんですよ。それ、ヤバくないですか。彼らは高校からサッカー始めたんですよ。
ケンカが強い人たちって、やっぱり根性があるんですよ。だから、走りの練習でも絶対にサボらないし、ギブアップもしない。
それを見ていたら、「自分ももっとやらなきゃ!」って思うじゃないですか。僕は監督兼キャプテンみたいな立場でしたけど、あれで教えられました。
今考えると、あの高校へ行ってよかったなって、ちょっと思います。
僕自身も大阪まで行って、中学生のいい選手がいたら、「うちで一緒にサッカーやろう」って勧誘したりして......、よく考えたら、そのころからGMやってんじゃん、みたいな感じですよね。だんだんとサッカー経験者だったり、結構有名な中学生だったりが来てくれるようになり、強くなっていきました。
ただ、高校最後の選手権予選では、島根県で優勝候補って言われていたのに、あれは何回戦だったのかな、すぐに負けちゃって。それも最後のPKを外したのが、僕だったんです。
試合は同点のまま延長でも決着がつかず、PK戦になったんですけど、相手は5人全員、うちも4人目まで全員が決めて、僕が最後のキッカー。それを外したんです。
「うわー、やっちゃった」って思いましたね。今でもよく覚えていますけど、「自分でサッカー部を作ってここまでやってきたのに、こんな結果になってしまった」って。
でも、泣き崩れていた僕のところにみんなが駆け寄ってきてくれて、「ありがとう。おまえがいなかったら、ここまで来るのは無理だった」って言ってくれた。あれには僕、感動しましたね。
あのときの選手権予選は、今考えても、全国大会に行ける自信があったんですけどね......。島根県のなかで負けるとしたら、大社か、益田くらいしかなくて、ひょっとしたら余裕で(選手権に)行けるんじゃないか、と思っていたくらいですから。
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