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伊東輝悦が32年間で「うまい」思った選手とは?「最初に見た時は『なんだこれっ』と思った」

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

引退インタビュー
伊東輝悦(アスルクラロ沼津)後編

◆伊東輝悦・前編>>「若いころのイメージを追いかけたりはしなかった」

◆伊東輝悦・中編>>海外クラブ移籍も「ちょっとやってみたかった」

 伊東輝悦は、記憶にも、記録にも、刻まれた選手だ。

 J1、J2、J3で、合わせて619試合に出場している。J1の出場試合数は歴代9位だが、Jリーグの総出場数では4位に食い込む。

 かくも多くのなかから、忘れ得ぬ試合を抜き出してもらう。

 すぐに挙げたのは、1999年のチャンピオンシップだ。

伊東輝悦が深く印象に残っている選手とは? photo by Fujita Masato伊東輝悦が深く印象に残っている選手とは? photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る クラブ史上初のステージ優勝を成し遂げた清水エスパルスは、ジュビロ磐田との静岡対決に挑む。アウェーの初戦でⅤゴール負けに終わっていた清水は、ホームの第2戦で90分以内に勝利すれば、年間王者になることができる。

 ところが、34分に先制されてしまう。さらに35分、日本に帰化して三都主アレサンドロと名乗る前のアレックスが退場となる。打開力のあるドリブラーを失った清水だが、37分に主将の澤登正朗が直接FKを決めて同点とする。1-1のまま延長戦に突入した99分にはⅤゴールが生まれ、トータルスコア2-2でPK戦へ持ち込んだ。

「こっちはふたり目のサントスが外して、Ⅴゴールを決めたファビーニョが4人目で外して負けちゃったんだよね。俺は3人目で決めたけど、ホントにホッとした。PKはめちゃくちゃ嫌いだから」

 記憶から消し去れないPKがある。静岡の強豪・東海大一高校で1年生から定位置をつかんだ伊東は、選手権予選決勝のPK戦でキッカーに指名された。

「で、外しちゃったんですよ。それで負けが決まったわけじゃないんだけど、先輩に申し訳なくて、それから嫌いになった。(2024年12月8日開催のプレミアリーグで)チェルシーのコール・パーマーがPKをど真ん中に、フワッと蹴ったんだけど、あんなのよくできるなと思ったもの」

 清水では1999年のJリーグセカンドステージ優勝だけでなく、1996年のナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)、2001年度の天皇杯で頂点に立っている。しかし、どちらの試合もピッチに立っていない。

「カップ戦の決勝だと、勝った試合じゃなくて、負けた試合に出ているんだよね」

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著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

【写真】伊東輝悦とも対戦した、あの人は今〜1994年Jリーグ得点王「オッツェ」今昔フォトギャラリー

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