38歳・水野晃樹「ベンチ外になった時に、すっげぇ悔しくて...」 だからこそJ3でプレーする今も「まだまだ戦えると思った」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 J1クラブからのオファーもあったなかで柏を選んだのは、当時の柏はJ2リーグで首位を独走し、昇格が見えているような状況だったから。柏での半年間で戦える体を取り戻したうえで、J1で活躍する自分を作り出していこうと考えていました」

 だが、思い描いていた青写真は思わぬ形で足止めを食らってしまう。柏でのデビュー戦となった7月25日。奇しくも千葉との古巣戦で途中出場した彼は、その終了間際に右膝を負傷。そのままプレーを続けたものの、検査の結果、前十字靭帯断裂と診断された。

「このケガは自分にとって、キャリアを揺るがす大きなターニングポイントでした。海外でうまくいかずに戻ってきてすぐの大ケガで、初めて弱気にもなり、嫁さんに『サッカーをやめろってことかなぁ』と弱音を吐きつつ、『もっと頑張れってことだよ』って言われて前を向いたのを覚えています。

 ただ、5カ月半くらいで復帰できたものの、以降は自分が武器にしていたスピードを取り戻すのに時間がかかってしまって。今までならギアをグイッと上げられていたシーンでも、上げきれないとか、1対1を抜けきれなくなってしまった」

 その悩みは、以降もついてまわり、彼を苦しめる。実際、柏時代は2010年のJ2リーグ優勝に始まって、2011年にJ1リーグ優勝を、2012年には天皇杯優勝を経験したものの、自身のなかからもっと活躍できたはずなのに、という思いが拭えることはなく、不完全燃焼でシーズンを終えた感も強かったそうだ。

「戦列に戻ってからも自分のプレーを模索し続けていた時に、キタジさん(北嶋秀朗)が『俺は、今のおまえもすげぇと思ってるよ。晃樹のキックを真似できるヤツはいないし、俺だっておまえのクロスが一番合わせやすい』って声を掛けてくれて。『今の新しい水野晃樹をもっと伸ばしていくことを考えろ』って言ってくれた。

 それを機に、自分はこれまでは1対1でガンガン仕掛けるタイプの選手だったけど、それができないなら出し手になればいい、今の自分で活きる道を考えればいい、って考えられるようになった」

 もっともその時は、北嶋の言葉に再び前を向く力をもらい、新しい自分を探す日々を始められることができたものの、「いまだに自分のプレーには納得がいっていないし、ずっと悩んでいる気がする」と水野は言う。柏を離れて以降、今に至るまで、2013年のヴァンフォーレ甲府に始まって、千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原、はやぶさイレブン(現厚木はやぶさFC)とキャリアを積み上げてきたなかでも、その模索は続いているそうだ。

 だが、見方を変えれば、それは彼が"新しい水野晃樹"を受け入れ、プレーで表現してきた証であるはずだ。でなければ、これだけたくさんのクラブから求め続けられるはずがない。

「僕の仕事は、試合に出場して、ピッチで活躍して結果を出すこと。そのために、今の自分で勝負する術は常に探しています。

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